新宿 五之宮 五之宮・六之宮御太鼓

新宿 五之宮 五之宮・六之宮御太鼓

東京都府中市、旧新宿(しんしゅく)町は、大國魂神社(旧武蔵総社六所宮)の五月例大祭、通称「くらやみ祭」にて渡御される八基の御神輿の中で、五之宮を奉仕しています。町内の氏子が管理する五之宮ならびに、五之宮・六之宮御先払いの御太鼓、およびお祭り全般に関する年表です。

1569年
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金鑚神社附燧(ひうち)袋の故事条

(1569年)

宮司が、武州総社六所宮が関係する様々な文書などを調査した中の一例この鰐口は、金鏡神社が六所宮の五之…

1593年
05月

松平家忠日記より やぶさめに関する記述

(1593年05月)

「松平家忠日記」※ 松平 家忠(まつだいら いえただ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名…

1606年
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慶長十一年(1606年)幕府の手で社殿の大造営

(1606年)

慶長十一年(1606年)、大久保長安を奉行として、総社六所宮が、再建されました。それ以前、天正十八年(1…

1646年
10月

社殿焼失

(1646年10月12日)

正保3年(1646年)10月12日、類焼により社殿が焼失正保三年十一月本町より出火して、社殿残らず燼となる。…

1667年
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寛文7年(1667年)、徳川家綱の命により、社殿を再建

(1667年)

寛文7年(1667年)、徳川家綱の命により、久世大和守広之が社殿を再建し。現在に至る。慶応年間(19世紀中…

1695年
02月

武州府中六所宮祭礼御幣腰掛米につき取替証文二通

(1695年02月08日)

多摩市史 資料編二 近世 文化・寺社 よりP.500 1 元禄8年(1695年)2月 武州府中六所宮祭礼御幣腰掛米につ…

1717年
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本所御条目請書(「御条目」は、家臣の行動規範を定めた基本法)

(1717年)

御輿役とは、御神輿のお守り役。指上ケ申一礼之事今度従 御公儀様、御本所 御条目之趣被仰聞、向後諸色段…

1737年
05月

大祭神役勤仕請書(元文二年五月)

(1737年05月)

大祭神役勤仕請書(元文二年五月) 1737年(以下は、御神役≒輿守たちが、神社に提出したお役をする上での…

1779年
04月

安永八年(1779年)宮司の日記より

(1779年04月)

安永八年 1779年六所宮神主日記 猿渡盛房(宮司)四月二十日御神馬来ル二十四日牽ニ可参旨申遣ス、大塚之…

1817年
10月

一之宮・二之宮の由来が判明

(1817年10月)

総社六所宮では、六所宮の縁起についての正しい伝承を失っていたが、猿渡盛章が、僧長弁の「私案抄」※にて…

1818年
11月

六所宮の縁起が判明

(1818年11月20日)

前年に、一之宮・二之宮の縁起が判明したことに加えて、猿渡盛章は、安居院(あぐい)の「神道集」※にて、…

1819年
05月

八基の神輿を再興(新調か?)

(1819年05月)

文政二年(1819年)武蔵総社六所宮神輿再興(修復)。八基の神輿を新調した模様。当然、当時としては、神…

1821年
05月

一之宮(多摩小野神社)の神輿 例大祭当日府中に

(1821年05月02日)

文政四年(1821年) 五月二日六所宮神主日記(府中市郷土資料集10)より以下にて、多摩小野神社(総社六所…

1844年
09月

総社六所宮 本殿修復上遷座式

(1844年09月13日)

武州多摩郡連光寺村 名主 富沢家日記天保(てんぽう)15年(1844年)9月13日この年、本殿修復につき上遷座…

1858年
08月

コレラを退散させるための獅子頭・神剱の巡行(神輿講中エリアまで)

(1858年08月24日)

安政五年八月二十四日この年の六月、長崎でコレラが流行、以後、三都でも流行。多摩地区でも、程度の差こ…

09月

武州府中六所宮御霊宮神輿講中新規加入につき勧誘状

(1858年09月05日)

輿役の鹿嶋田家が本町をはじめとする御霊宮の世話役と連名で、新規講中を募集した。それ以前に、御本社の…

1859年
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1859年(安政六年)未年 御神用払方

(1859年)

1859年(安政六年)未年 御神用払方大國魂神社(武蔵総社六所宮)文書より。神輿・太鼓などにかかった費用…

1860年
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1860年(万延元年)申年 御神用払方・御神用入方

(1860年)

1860年(万延元年)申年大國魂神社(武蔵総社六所宮)文書より。神輿などにかかった費用です。なお、御神…

05月

御霊宮 御神灯講中(今の東大和市)

(1860年05月05日)

安政五年(1858年)、御輿役の鹿嶋田家と本町世話人が中心となって、御霊宮の講中新規募集をしたが、その…

1861年
05月

連光寺村 名主 富沢家日記より 御霊宮 講中世話か?

(1861年05月05日)

武蔵国多摩群連光寺村 名主 富沢家日記より毎年五日には総社六所宮の祭礼に行く様子が書かれています。例…

コレラ退散のための獅子頭・神剱巡行

(1861年05月21日)

文久元年五月廿一日比留間家文書より六所宮御獅子蛇丸伊吹丸氏子巡行ニ付我等共世話いたす、先例之通京所…

1862年
文久2年
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御霊宮の帳場(講中の詰め所か?)の御幕新調の際の代表講中名

(1862年)

文久二年(1862年)御霊宮の帳場(講中の詰め所か?)の御幕新調の際の代表講中名前年に、御霊宮では、大…

07月
コレラを退散させるための獅子頭・神剱の巡行(神輿講中エリアまで、そのニ)

コレラを退散させるための獅子頭・神剱の巡行(神輿講中エリアまで、そのニ)

(1862年07月12日)

文久二年七月十二日 (1862年)この年の六月中旬、江戸で麻疹が流行、その後、コレラとも思える(諸説あり…

1864年
文久4年
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1864年(元治元年)子年 御神用払方

(1864年)

1864年(元治元年)子年 御神用払方大國魂神社(武蔵総社六所宮)文書より。神輿などにかかった費用を抜き…

1865年
元治2年
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1865年(慶応元年)丑年 御神用払方・御神用入方

(1865年)

1865年(慶応元年)丑年大國魂神社(武蔵総社六所宮)文書より。神輿などにかかった費用です。なお、御神…

1866年
慶応2年
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1866年(慶応ニ年)寅年 御神用払方

(1866年)

1866年(慶応ニ年)寅年御神用払方大國魂神社(武蔵総社六所宮)文書より。神輿などにかかった費用を抜き…

1867年
慶応3年
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1867年(慶応三年)卯年 御神用払方

(1867年)

1867年(慶応三年)卯年 御神用払方大國魂神社(武蔵総社六所宮)文書より。神輿などにかかった費用を抜き…

1868年
慶応4年
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1868年(明治元年)辰年 御神用払方

(1868年)

1868年(明治元年)辰年御神用払方大國魂神社(武蔵総社六所宮)文書より。神輿などにかかった費用を抜き…

1869年
明治2年
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1869年(明治ニ年)巳年 御神用払方

(1869年)

1869年(明治ニ年)巳年御神用払方大國魂神社(武蔵総社六所宮)文書より。神輿などにかかった費用を抜き…

1870年
明治3年
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1870年(明治三年)牛年 御神用払方

(1870年)

1870年(明治三年)牛年御神用払方大國魂神社(武蔵総社六所宮)文書より。神輿などにかかった費用を抜き…

1871年
明治4年
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1871年(明治四年)未年 御神用払方

(1871年)

御神用払方大國魂神社(武蔵総社六所宮)文書より。神輿などにかかった費用を抜き出しました。金三両弐分 …

1876年
明治9年
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四ヶ町で神輿・太鼓の修復費用を負担

(1876年)

番場町に残る「御祭礼其外勘定帖」によれば、大國魂神社の神輿・太鼓の修復費用の全てを四ヶ町が負担して…

1879年
明治12年
06月

四ケ町が合併して、府中驛に

(1879年06月)

明治12年6月、本町・番場宿・新宿・八幡宿 四ケ町が合併願いを神奈川縣に申請。府中驛(駅)に。初めてそ…

1880年
明治13年
-

神輿の管理が四カ町に割り振りされたと推定

(1880年)

明治13年。番場町の記録から、この年に、四ケ町(本町・番場・新宿・八幡町)に神輿二社ずつの管理が委ね…

1881年
明治14年
05月

明治14年の記録 比留間七重郎日記より

(1881年05月)

江戸期から明治初期まで、六之宮輿役(広義の輿守)だった新宿比留間家十二代、比留間七重郎の日記より五…

1883年
明治16年
-

初代五六之宮太鼓製作

(1883年)

明治16年。口径88cm、胴周り3m31cm、長さ93cm、材質は欅。現在、小田分(現小柳町)の石井神社にて所有。…

05月
二之宮・三之宮太鼓新調奉納帳

二之宮・三之宮太鼓新調奉納帳

(1883年05月)

明治16年(1883年)、八幡宿が二之宮・三之宮太鼓を新調した際の奉納帳。明治21年に三之宮神輿の管理を京…

明治16年の記録 比留間七重郎日記より

(1883年05月05日)

江戸期から明治初期まで、六之宮輿役(広義の輿守)だった新宿比留間家十二代、比留間七重郎の日記より五…

1885年
明治18年
05月

相州高座郡森村から六之宮講中参加希望もドタキャン

(1885年05月)

府中新宿比留間七重郎日記(武蔵府中叢書3)をあらためて読んでいたら、以下を発見。明治十八年四月廿八日…

1887年
明治20年
05月

明治20年の記録 比留間七重郎日記より

(1887年05月05日)

江戸期から明治初期まで、六之宮輿役(広義の輿守)だった新宿比留間家十二代、比留間七重郎の日記より五…

1892年
明治25年
-

二代目五六之宮太鼓製作

(1892年)

明治25年。口径80cm、胴周り3m34cm、長さ1m、材質は欅。現在は、府中町二丁目で使用されています。表面は…

比留間家文書より

(1892年)

明治25年江戸期からの新宿の名家であり、六之宮の輿家(こしいえ)であった比留間家文書より、祭礼に関す…

1900年
明治33年
-

明治33年 五之宮新調

(1900年)

明治33年、五之宮新調1)ただし、町内の記録では、神輿新調としか記載されておらず、言い伝えで五之宮と判…

1913年
大正2年
05月

「みみずのたはこと」 徳富蘆花

(1913年05月05日)

みみずのたはこと 1913年(大正2年)徳冨健次郎(徳富蘆花) 当時、現在の蘆花公園のある場所にお住まい。…

1922年
大正11年
07月

新宿町 砂川から山車を購入

(1922年07月20日)

大正11年のすもも祭りの日(との言い伝え)。青年会の蕪木清治さんら若手が、現立川市の砂川(砂川村八番…

1925年
大正14年
05月

三代目五六之宮太鼓製作

(1925年05月)

大正14年。大津富蔵氏、福島宗平氏が発起人。口径1m22cm、胴周り5m10cm、長さ1m53cm、材質は橡(とち)。…

1932年
昭和7年
-

町内を四つの区分に分ける

(1932年)

昭和7年。町内を四区に区分して町政を執行することになる。一区:今の東馬場二区:今の新宿一丁目三区:今…

1934年
昭和9年
06月

一区(現在の東馬場)が町内より独立

(1934年06月)

昭和9年6月。四つの区分のうち、一区が町内より独立。このときまでには、新成区が出来ていた模様。今、「…

1945年
昭和20年
05月

例大祭 神輿渡御中止

(1945年05月)

「府中町新宿馬場組合」(故田中敏夫氏保管、ただし、現在は行方不明)より(故)渡辺紀彦元奉賛会会長・…

1946年
昭和21年
05月

昭和21年(1946年) 六之宮担当を移管

(1946年05月)

「府中町新宿馬場組合」(故田中敏夫氏保管、現在は行方不明)より「附記 昭和二十一年度大祭ヨリ東馬場、…

1950年
昭和25年
-

六之宮 町内負担割合

(1950年)

元大國魂神社奉賛会会長の渡辺紀彦さんが図書館に寄贈した「渡辺文書」の中から。六之宮の記録。昭和25年…

1951年
昭和26年
-

六之宮の講中記録

(1951年)

元大國魂神社奉賛会会長の渡辺紀彦さんが図書館に寄贈した「渡辺文書」の中から。六之宮の講中記録。昭和2…

05月
新宿青年会 神幸門前にて

新宿青年会 神幸門前にて

(1951年05月)

五月三日と思われます。たぶん、神輿をお石原に並べたあとかと。これは、五日でしょう。渡御前か。よく見…

1952年
昭和27年
05月
昭和27年の例大祭

昭和27年の例大祭

(1952年05月)

佐藤醫院前にて 新宿青年会ケヤキ並木での子供神輿今のよりはるかにでかい。これを斜めになりながらまるで…

1956年
昭和31年
05月

渡御の時間が早まる(夜9時に)

(1956年05月05日)

昭和三十一年。神輿渡御が五日夜21時に変更。還御は六日朝5時。この変更までは、渡御が夜23時、還御が朝5…

1957年
昭和32年
05月

渡御の時間、変わらず

(1957年05月05日)

1957年 昭和32年。神輿渡御の時間を元の夜11時に戻すべく、警察と交渉するも、結局は、前年通り、夜9時と…

1960年
昭和35年
05月

神輿渡御・還御なし、唐櫃渡御に

(1960年05月05日)

相次ぐ祭りでの事故に対する数年にわたる批判を受けて、昭和35年、神輿の渡御・還御を中止。代わりに、唐…

1963年
昭和38年
-
五之宮・六之宮 神輿大修復

五之宮・六之宮 神輿大修復

(1963年)

昭和三八年。当時は、八基の神輿の中で、最もボロだった(と思われる)五之宮・六之宮。修復は、町内の長…

1974年
昭和49年
04月

宝物殿完成

(1974年04月)

それまでの神輿蔵に代わり、宝物殿が作られた。今思い返すと、マッチ一本で丸焼けするくらいの旧神輿蔵だ…

1977年
昭和52年
04月
金鑚神社に里帰り廻行

金鑚神社に里帰り廻行

(1977年04月15日)

昭和52年。五之宮に祀られているのは、金佐奈大神〔かなさなのおおかみ〕(武蔵二之宮 金鑚神社(かなさな…

1978年
昭和53年
-

五之宮神輿修復

(1978年)

昭和53年五之宮神輿修復。千葉県行徳の後藤直光神輿店にて。(同時に金棒十対を浅草南部屋で購入)

05月

神輿渡御、中雀門内が白丁のみに

(1978年05月05日)

昭和53年。神輿渡御に重大な変更あり。中雀門内には、白烏帽子と白丁の30人だけが入場できることになった…

1985年
昭和60年
03月

白丁 町内販売予約開始

(1985年03月30日)

数年前から三之宮だけが採用していた、神輿奉舁(ほうよ)者の白丁着用。いよいよ、新宿五之宮でも、正式…

1988年
昭和63年
-

山車新調

(1988年)

昭和63年、山車を新調。砂川から大正11(1922)年に買い取った山車の劣化に伴い、計画から三年を費やした…

1993年
平成5年
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四代目五六之宮太鼓製作

(1993年)

平成5年。口径1m88cm、長さ2m43cm、材質;ブビンガ製造元:浅野太鼓(石川県白山市)現在例大祭に使用中。