鯰尾藤四郎、燃える

(1615年)

大阪夏の陣で、大阪城落城の際に焼身となる。

豊臣秀吉に伝わって以降は、豊臣秀頼に渡り、愛刀として使われていた。
この時にはすでに脇差となっているが、いつ磨りあげが行われたのかは不明。

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