デア・シュピーゲル誌アーカイブより

デア・シュピーゲル誌アーカイブより

主に独

1947年
昭和22年
08月

”全く驚きではない”

(1947年08月02日)

ヴェーバーの遺産、ブッフホフ牧場から、ケルン開催のダービー馬が誕生する

1949年
昭和24年
07月

”リュサンダー・エクストラ”

(1949年07月07日)

前年、東ドイツ地域のビルクハーンにハンブルク・ダービーを持っていかれた。西側は二頭のシュレンダーハ…

1950年
昭和25年
06月

”ネクタイまで”

(1950年06月22日)

シュレンダーハン牧場の戦争時、戦後の様子、ということになるのだろうか

1951年
昭和26年
02月

”その馬っ子おらの好みだべ”

(1951年02月21日)

クリスチアン・ヴェーバーのナチス時代のバイエルン競馬けん引について

06月

”綿に包まれて”

(1951年06月27日)

Neckar世代ダービー前夜。障害競走の類が衰退した理由なども

1952年
昭和27年
04月

これらの禁断の果実たち

(1952年04月30日)

ロートシル卿が第二次世界大戦中にドイツに奪われた馬の権利を主張

08月

オットーが全ての責任を負うのだ

(1952年08月20日)

名騎手オットー・シュミットが引退する。アドリアン・フォン・ボッケ調教師との確執

1954年
昭和29年
10月

”コサックのように”

(1954年10月20日)

ホペガルテンで社会主義諸国による国際レースが初めて開催された

1965年
昭和40年
10月

"名声とルーブル"

(1965年10月13日)

一時的にソ連馬のブーム。国家を挙げてサラブレットの研究をし、その結晶がAnilinといえよう

12月

ドイツの当歳馬

(1965年12月29日)

ドイツ馬生産者、馬主の苦悩とフランス競馬との格差

1968年
昭和43年
09月

金を掻っ攫ってった

(1968年09月16日)

ドイツ人馬主の外国人騎手優遇とそれに対抗するドイツ人騎手の不満

1973年
昭和48年
10月

やる気あり

(1973年10月08日)

ツォッペンブロイヒ牧場初のダービー馬Athenagorasについての短い記事

11月

”確固たる圧力”

(1973年11月05日)

進歩的な森林法の実施のため、レットゲン牧場は問題を抱え込む

1975年
昭和50年
06月

”ツァイテルハック氏が来るとき”

(1975年06月30日)

鉄鋼王でシュタール・モーリッツベルクの主人は経済力にものを言わせ、ドイツ競馬界に新風を吹き込む。シ…

1979年
昭和54年
09月

”帰郷”

(1979年09月24日)

ソ連、西ドイツ両国にとって意義のあったソ連チームの西ドイツ遠征のトラディションが、ある災難をきっか…

1981年
昭和56年
01月

"エディプスをめぐる憤懣"

(1981年01月26日)

馬の命名の話。母馬の頭文字を仔馬に引き継ぐことを義務付けるドイツでは、命名する生産者にとって、命名…

1989年
昭和64年
08月

ミリオンはクソの中

(1989年08月28日)

時代は移り、伝統的牧場が不振にあえぐ中、新規参入者のある者は成功をおさめる

1990年
平成2年
02月

”かつての皇帝の時代のように”

(1990年02月26日)

東西交流競走を目前に、旧西ドイツの競馬界は旧東の遺産をどう扱うか、それぞれが思いを巡らせている

07月

くたくたなスープ用にわとり

(1990年07月23日)

DDR解体とそれに伴うゴタゴタ