日米構造協議

(1989年07月14日)

1970年代以降、日本の自動車や家電製品がアメリカ国内でシェアを伸ばし、
1980年代に入ると小型低燃費で品質が向上した日本車の輸出拡大により
アメリカの自動車産業は壊滅的な打撃を受けた。

半導体を巡る対立がもっとも深刻で、
基幹産業である鉄鋼・ガラスなども壊滅的打撃を受けた。

デトロイトでは人口流出が続きピーク時から半減し、人口の8割が黒人となった。

対日貿易赤字が拡大する中で、
牛肉等の畜産物や米・柑橘類の農産物に係る日本の関税に対する批判が高まり、
ジャパンバッシングと呼ばれる反日キャンペーンがおこり、
1988年に施行されたアメリカ合衆国の「包括通商・競争力強化法」(スーパー301条)は
不公正な貿易慣行や輸入障壁がある、もしくはあると疑われる国を特定し、
輸入品に対する関税引き上げという強力な報復制裁措置を行うというものだった。

1989年7月14日の日米首脳会談の席上、
ジョージ・H・W・ブッシュ大統領が宇野宗佑総理大臣に
日米構造協議を提案し実現した。

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