ラチャク虐殺(コソボ紛争)

(1999年01月15日)

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コソボ解放軍による攻撃とセルビア側の反撃は
1998年から1999年にかけての冬の間中つづけられ、
1999年1月15日にはラチャクの虐殺が引き起こされた。

事件は直ちに(調査が始められるより前に)虐殺事件として
西側諸国や国際連合安全保障理事会から非難された。

このことは、ミロシェヴィッチと彼の政権の首脳らを
戦争犯罪者とみなす基礎となった。

テレビカメラは、殺害されたアルバニア人たちの遺体のそばを歩く
アメリカ合衆国の外交官ウィリアム・ウォーカーを映し出した。

ウォーカーが記者会見を開き、
一般市民に対するセルビアの戦争犯罪行為について
明らかにしたと述べた。

この虐殺が、戦争の大きな転換点となった。

NATOは、NATOの支援の下で
平和維持のための武力を投入することのみが、
問題を解決する唯一の手段であると断じた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/コソボ紛争#.E3.83.A9.E3.83.81.E3.83.A3.E3.82.AF.E8.99.90.E6.AE.BA

http://ja.wikipedia.org/wiki/スロボダン・ミロシェヴィッチ

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