「太陽の王子 ホルスの大冒険」製作開始

(1965年)

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激しい組合活動を行いながら、高畑勲・森康二・大塚康生らと共に
3年がかりの大作、『太陽の王子 ホルスの大冒険』(1965-1968年)を作り上げた。

アイヌの伝承をモチーフにした深沢一夫の戯曲(人形劇)
『チキサニの太陽』を基とし、
舞台を「さむい北国のとおいむかし」として製作された。

制作トップに立った高畑勲にとっては
初めての大作となり、若気あふれる野心作ともなった。
宮崎駿が本格的に制作に携わった初めてのアニメ作品でもある。

製作された昭和40年代初頭の日本は、
高度経済成長のひずみが社会問題化し、
泥沼化するベトナム戦争に対する反戦運動や
間近に控える70年安保に対する反対闘争などが
一斉に活発化した時代であった。

労働運動も盛り上がりをみせ、
『ホルス』のスタッフもほとんどが労働組合員であり
組合活動に熱中するスタッフも多かったという。

(東映動画労働組合の初代書記長は大塚康生であり、
副委員長は高畑勲、二代目書記長が宮崎駿であった。)

登場人物たちが掲げる剣が太陽の光を反射して光るシーンなど、
ソ連映画の名監督エイゼンシュタインの影響が見られる。

製作中は合理化を求める会社(東映動画)側と、
自分たちが作りたい物を作ろうとするスタッフ(組合員)との間で、
たびたび衝突があったという。

製作は難航し
会社からスタッフに対して
スピードアップを要望する通達が何度も出された。

製作を管理するプロデューサーが何人も交代したという。

スケジュールの大幅な遅れと製作費の膨張により、
ストーリーの切り詰めや表現の簡略化を行わざるをえなかった。

有名なところでは宮崎駿が手がけた狼の群れが
村を襲うシーンが止め絵での表現になった。

後のスタッフに対するインタビューでも
「もう少し時間が欲しかった」
「もう少し予算が欲しかった」
という意見が数多く聞かれた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/太陽の王子_ホルスの大冒険

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