大躍進政策

(1958年)

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農工業の増産を図り強行したが
技術的に未熟であったために失敗し、
大量の餓死者を出した。

この結果、
毛沢東に進言した幹部は粛清され、
毛沢東自身も失脚した。

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第二次五ヵ年計画において
中国共産党指導部は、
当時世界第2位の経済大国であったイギリスを追い越す
という壮大な計画を立案した。

しかし、市場原理を無視して
人民に厳しいノルマを課し、
ずさんな管理の元で
無理な増産を指示したため
却って生産力低下をもたらした。

1959年の7月から8月にかけて、
江西省の廬山における会議(廬山会議)において、
共産党の要人・彭徳懐が
大躍進の問題点を諫めた。

この指摘は正当なものだったが、
毛沢東の逆鱗にふれ、
彭の支持者も含めて政治的に失脚した。

この結果、大躍進に意見するものがいなくなるとともに、
一層無理なノルマが課されるようになり、
ノルマを達成できなかった現場指導者たちは
水増した成果を報告した。

そして、その報告を受け取った毛沢東は
更なる増産を命令するという
悪循環に陥っていったのである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/大躍進政策

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