胡錦濤がラサで戒厳令

(1989年03月08日)

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抗議運動が大規模なデモ行進にまで発展したため、
胡はラサ全市に建国以来初の戒厳令を布告した。

日本では、この時に
チベット独立運動を押さえ込んだことで
党指導部の信頼を勝ち得た
と言われることもあり、
2008年のチベット動乱の際にも
メディアで批判される根拠となった。

その後、1989年6月に
天安門事件が勃発した際も、
その民主化運動のチベットへの波及を防ぐため、
ラサを戒厳令下に置いた。

以降チベット自治区の最高責任者にあった4年間、
「1.分離主義の弾圧、2.経済建設を推進」する政策を実行した。

http://ja.wikipedia.org/wiki/胡錦濤#.E3.83.81.E3.83.99.E3.83.83.E3.83.88.E3.81.A7.E3.81.AE.E6.B4.BB.E5.8B.95

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