手塚治虫 死去

(1989年02月09日)

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100歳まで描き続けたいと言っていたが、
1988年11月、
中国上海でのアニメーションフェスティバルからの帰国と同時に
体調の悪化により半蔵門病院に入院し、胃癌と判明する。

病床でも仕事を続け、
昏睡状態に陥るようになってからも
意識が回復すると
「鉛筆をくれ」と言っていたという。

このため
最期の言葉のようなものは残さなかった。

翌1989年1月21日に
手塚プロ社長がお見舞いに来た時には、

「僕の病状は何なんだ、君聞いてきてくれ」

と頼んでいたという。

胃癌ということは伏せて聞いた事を話すと

「そうか…」

と一言言ったという。

1月25日以降、昏睡状態に陥る。

そして、1989年(平成元年)
2月9日午前10時50分 死去。

その死によって
『グリンゴ』『ルードウィヒ・B』『ネオ・ファウスト』、
そして『火の鳥』などの作品が
未完のまま遺された。

亡くなる3週間前(1989年1月15日)まで書かれていた自身の日記には、
その時の体調状態や新作のアイデアなどが書き連ねられていた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/手塚治虫#.E6.99.A9.E5.B9.B4

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