水野成夫が産経新聞を買収

(1958年)

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前田久吉から産経新聞社を買収して社長に就任。(※写真は長男の誠一)

水野のマスコミへの進出は、
財界のマスコミ対策とも言われ、
ジャーナリズムからは
「財界の送ったエース」と書き立てられた。

新聞社の経営に
普通の会社の経営方針を持ち込んだものと言われ、
通常の編集、販売、広告の順番を逆にして
まず広告主を見つけることを最優先課題とした。

また、労働組合を味方に取り込むために、
産経新聞労組と「平和維持協定」を締結し、
(この結果、組合は
日本新聞労働組合連合より脱退)
役員、職制、職場代表による再建推進協議会設置など
労使一体による体制を構築した。

このような水野のやり方は
合理化に伴う配転・解雇などを生み
「産経残酷物語」とか「水野天皇制」と言われた。

しかし、産経新聞そのものは、
水野社長就任1年で黒字に転換し、
フジサンケイグループの
強固な基盤が確立されたとされる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/水野成夫

ちなみに誠一さんは
浜岡廃止を訴えて
静岡県知事選に出馬、
福島の事故以降は
廃炉運動を続けている。↓

http://twitter.com/#!/SeiichiMizuno

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