統一教会ナンバー2の朴普煕(パク・ポヒ)が死去。

(2019年01月12日)

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パク・ポヒ元世界日報社長が
12日午前に
宿患(※長く患っていた病気)で亡くなった。

享年90歳。

1930年に忠南牙山で生まれた故人は
1950年に陸軍士官学校2期生として
朝鮮戦争に参戦した。

その後、
駐米韓国大使館武官補佐官や
ソンファ学園理事長、
米ニューヨークシティトリビューン発行人、
ワシントンタイムズ会長などを務めた。

1991年11月に
世界日報社長に就任して
約3年間会社を導いて、

1994年7月に
金日成北朝鮮首席が死亡すると
北朝鮮を訪問して
直接弔問したりもした。

陸士出身で
英語の実力に優れた故人は
1970年代に
統一教会がアメリカで勢いを拡げた時期、
文鮮明世界平和統一家庭連合(統一教会)総裁の演説を
英語に通訳して
『文鮮明の右腕』の役割をこなした。

パク元社長は
娘パク・フンスク(現ユニバーサルバレエ団団長)が
文総裁の次男と婚約関係だったほどに
文総裁との縁が深い。

文総裁の次男が
不慮の事故で幽明を異にすると
パク・フンスクは
霊魂結婚式を上げた後、
姓氏を変えてムン・フンスクになった。

パク元社長は
1976年に米日刊紙ワシントンポストが
特筆大書して明らかになった『コリアゲート』
(パク・ドンソン事件)に絡んで
2年後、米下院に出席して
涙を流して証言したことで有名だ。

コリアゲートは
中央情報部が
在米事業家パク・ドンソンを通じて
米政治家たちにロビー活動を展開して、
激しい逆風を受けて
1970年代の韓米関係を
最悪に追いこんだ事件だ。

パク元社長は
コリアゲートを調査する米下院国際関係委員会傘下の
国際機関小委員会(フレーザー委員会)に証人として召喚されたが、
逆にドナルド・フレーザー委員長に攻撃を浴びせて
愛国心を刺激する公開証言で危機を脱した。

彼の証言は
著書『私は誇らしい韓国人』で
発刊されたりもした。

故人の遺族には
ムン・フンスク ユニバーサルバレエ団団長などがいる。

遺体安置所は
ソウル峨山病院葬儀場に用意されて
出棺は15日だ。

https://www.yna.co.kr/view/AKR20190112046800005

https://ja.wikipedia.org/wiki/朴普煕

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