済州島四・三事件

(1948年04月03日)

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韓国臨時政府(米軍管理下)は
島民ら数名の蜂起に
労働党が関与しているとして、
政府軍・警察による粛清をおこなった。

この結果、
6万人 (島民の1/5) が虐殺され、
70%の家屋が焼き尽くされた。

歴史的に流刑地だったことなどから
朝鮮本土から差別され、
また貧しかった済州島民は
当時の日本政府の防止策をかいくぐって
日本へ出稼ぎに行き、定住する人々もいた。

韓国併合後、
日本統治時代の初期に同じく
日本政府の禁止を破って
朝鮮から日本に渡った20万人ほどの大半は
済州島出身であったという。

日本の敗戦後、
その2/3ほどは帰国したが、
四・三事件の発生後は
再び日本などへ避難、あるいは密入国し、
そのまま在日朝鮮人となった人々も多い。

日本へ逃れた島民の一部は
大阪にコミュニティーを建設した。

済州島では事件前(1948年)に28万人いた島民は、
1957年には3万人弱にまで激減したとされる。

歴史清算事業を進める盧武鉉は、
2003年10月に行われた
島民との懇談会で
初めて謝罪した。

http://ja.wikipedia.org/wiki/済州島四・三事件

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