【國重惇史】企画部に配属され、MOF担となる。

(1975年)

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・わたしが大学を卒業して住友銀行に入行したのは、1968年。
最初の配属は丸の内支店。
2年半支店時代には営業などをやったが、
目立った業績があったわけではない。

・その後、本社の東京業務第二部、2年間の米国大学院留学、
業務企画部などを経て、
企画部に配属されたのが1975年のことだった。
以降、10年をこの企画部で過ごすことになる。

・私は企画部で大蔵省担当、いわゆる「MOF担(モフ・タン)」を長く務めた。
自分で言うのもなんだが、
MOF担として、
「國重の前に國重なし、國重の後に國重なし」
といわれ、名をはせた。

・MOF担というのは、端的に言えば、
情報を取ってくる仕事である。
大蔵省のキャリア官僚、ノンキャリ、
さらには、政治家、日本銀行の役人などに深く食い込み、
銀行にとっての重要情報を逃がさずに入手する。

・企画部では、時にトップ幹部から降りてくる特命的な仕事も任される。
要するに、最も経営に近い中枢であり、
若いころからここで仕事ができたことは自分の財産になった。
そのスキルは、イトマン事件の際に非常に役立った。

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