【アルフォンソ13世】ヴィクトリア・ユージェニーと成婚。

(1906年05月31日)

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ユージェニー(スペイン語ではへウニア)は、
英国貴族バッテンベルク公の娘で、
プロテスタントだったが、カトリックに改宗した。

イギリス国王ジョージ5世の従妹にあたる。

イギリス・スペインの両国では、議論が沸騰した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/アルフォンソ13世_(スペイン王)

また後のヴァロワ朝やブルボン朝、オルレアン朝に至るまで
フランスの歴代の王朝はみなカペー家の分族から出た。

(中略)

現在のスペイン王家(スペイン・ブルボン家)の祖先であり、
現在のルクセンブルク大公家も男系ではカペー家の流れをくむ。

(中略)

フィリップ4世はテンプル騎士団の資産に目をつけ、
異端の濡れ衣を着せてこれを解散させ資産を奪った。

その後、1309年に教皇庁を
ローマからアヴィニョンに移転
(アヴィニョン捕囚、「教皇のバビロン捕囚」)させ、
フランス王権の教皇に対する優位性を知らしめた。

このことによって、のちの宗教改革の時代よりも早く、
フランス教会はカトリックの枠内にありながら
ローマ教皇からの事実上の独立を成し遂げた(ガリカニスム)。

(中略)

フランスの王位継承者は、
サリカ法典により
男系のカペー家の子孫のみが継承権を許されている。

しかし、フィリップ4世の娘イザベルとイングランド王エドワード2世の間に生まれたエドワード3世が
カペー家の相続を主張してフランスへ侵攻し、ここに百年戦争が勃発することになる。

その後、フランス王位はヴァロワ家、ブルボン家へと受け継がれるが、
これらの家系もカペー家の男系支族である。

その意味においては、王政(フランス王国)が
フランス革命によって打倒されるまで、
カペー家の血筋が続いている。

1814年以降のブルボン家、オルレアン家を含めると、
その血統はさらに続いているといえる。

(中略)

カペー家の嫡流の地位は、アンリ・ダルトワ(アンリ5世)没後は
ボルボン家(スペイン・ブルボン家)のカルリスタに継承され、
その後はスペイン国王アルフォンソ13世(アルフォンス1世)の次男
セゴビア公ハイメ(アンリ6世)の系統に引き継がれ、
現在はアンジュー公ルイス・アルフォンソ(ルイ20世)が有している。

ただし、これはレジティミストの主張による。

https://ja.wikipedia.org/wiki/カペー朝

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