【楢崎弥之助】海部俊樹首相に「パッシーナ」に行ったか質問。★

(1989年10月12日)

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○楢崎委員
そこで、リクルート本社のビルの地下一階に、
リクルート社が一〇〇%資本を出している子会社、
クラブ・パッシーナという飲み屋があります。

これは昭和五十七年に開店をしております。

ここを仕切っておるのは元日航スチュワーデスのMという方です。

これは写真週刊誌にも載ったことがある方です。

藤波元労相や森元文部大臣もこの常連です。

あなた、行かれたことがあるでしょう。

○海部内閣総理大臣
私はそういうところへ行ったことはありません。

○楢崎委員
私は、証言者があってこれを聞いておるものですから、
もしこれは行ったことがなかったら、
大下英治という方の「自民党を震撼させた男」
この百十七ページにそう載っています。
これは私確かめた。
だから、もし間違いならば、あなた抗議しなくちゃいけません。
本名で出ていますから。
そこで、私が申し上げたいのは、総理、
現職の大臣が特定の企業のために協力すること
あるいは利用されたりすることは
厳に慎むべきだと思います。
憲法の十五条には、
「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。」
こうなっているんですから、私はこの精神にも反すると思う。

だから、国会議員は国家公務員法の適用は受けないそうでありますけれども、
文部省の役人はこういうことで、八十二条でしたか、
一部の者に奉仕したということで責任を問われてやめておるわけですよね。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/116/0380/11610120380002a.html

中江利忠・専務取締役=編集担当
富岡隆夫・アエラ編集長(初代)
リクルートが経営していた会員制クラブ「パッシーナ」で会合。

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C 疋田問題では驚いたことがひとつある。
『書かれたらそれまでよ日記』に、
神田の居酒屋「カントリー」に中江も交えて集まっていることが書かれている。
どうも中江が疋田らにネジを巻いてやらせているんだろう。

B この件のバックにいるのは、中江だろう。

A 本多、疋田はいろいろ言っているが、大体当時問題企業として批判を浴びていたリクルートに、
新聞記者が近づくのがおかしいんだ。
各新聞社がリクルート商法を、女性職員を安く使っているとか、青田買いとかで批判していた。
そんなことを社会部の長老格の疋田らが知らない訳はないし、知らないとすれば怠慢だ。

C 朝日がやったリクルートの青田買い批判記事だが、あれを書いたのはPだ。
Pと疋田は同じ社会部なのだから、知らないとは考えられない。
それに、あのころの編集をみていた責任者は、一柳、中江だ。(p.106)

C 朝日新聞が就職協定違反、誇大広告などでリクルート批判記事を書いたが、
それまでリクルートはマスメディアに対して何も手を打っていなかった。
リクルートが新聞対策をやらなくてはいけないと方針を変えたのは、この記事が出てからなんだ。
朝日にいきなりキャンペーンをやられて困った。
だから、書かれるにしても事前にある程度わかるとか、あるいは、
こちらの言い分も聞いてもらうなどの対策を打つ。
こちらの言い分を聞いてもらえる人間関係を作らなければいけないということを感じ始めていた。
新橋のリクルートビル地下にあるクラブ「パッシーナ」に、毎日入り浸っていたのじゃないか。

A 一回だけ行ったと言っているが。

C (笑い)ウソだよ。
一頃は連日のように行っていたよ。
一人で行ったりとか、(元朝日新聞文化企画担当取締役)富岡隆夫とよく一緒に行っていた。
毎日行っていて、行くと江副が降りてきて、ピアノを弾いていた。
江副がここぞとばかりにサービスするし、中江はそのサービスがよくて頻繁に行くんだ。
当時『アエラ』が発行準備中で、中江はその発行準備の責任者だった。
『アエラ』が出版されて富岡が編集長の時に、リクルート事件が起きた。
それで江副が『アエラ』だけには、インタビューに応じている。
そういった人間関係がパッシーナでできていた。(p.107)

(「夜明け前の朝日」藤原肇・著 )

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