「府立第一勧工場」が開場。(日本初の百貨店)

(1878年01月20日)

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東京永楽町辰ノ口に、
「府立第一勧工場」なる施設が開場しました。

「勧工場(かんこうば)」の誕生です。

東京府が「内国勧業博覧会」の売れ残り品を販売するために
開場させたこの施設は、殖産興業を進める博覧会の主旨を常設店舗で展開し、
それらをさらに促進させようとするもので、
欧米のバザー(Bazaar)やフェアー(Fair)といった、
娯楽性を兼ね備えたマーケットを下敷きにしたものでした。

勧工場が画期的だったのは、
様々な種類の商品を
場内で同時に並べて売買させる、
陳列販売方式を採用したことでした。

店頭に商品を置かず、
店に行って話をすると
商品を奥から出して来て交渉で売買を成立させる、
「座売り」と呼ばれる販売形態が一般的だった当時の社会において、
土足のまま入ることが出来、
陳列された商品(値札付き)を見ながらそぞろ歩ける場所(でも購入も可能)で
比較して買うことのできる売買形式は
非常に画期的なものでした。

経営者の異なるさまざまな売店が一つの店舗の中に入り、
日用品、洋物、呉服、文房具など、幾種類もの商品を揃え、
それを陳列し、販売していた。

開場直後から人気を集めた勧工場は、
明治13年(1880)に民営化されると
徐々にその数を増やし、
明治16年(1883)には
東京市内に12の店舗が登場、
以降各地の都市中心部に相次いで登場し、
「勧工場時代」とも呼ばれる一時代を形成していきました。

http://officej1.com/trade/kankouba.html
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百貨店(デパート)は、
19 世紀後半に
欧米の 大都市に登場してきた。

フランスでは、流行品店(magasin de nouveatres) という
衣料品店を前身にして
世界最初の百貨店といわれるボン・ マルシェが誕生しているが、
日本でも明治の末から大正にかけて、
呉服商が転換した百貨店 が次々に誕生した。

百貨店の隆盛により
勧工場という業態は駆逐されていく。

http://www.ndl.go.jp/jp/diet/publication/refer/pdf/071604.pdf
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