【小池勇二郎】衆院選に出馬するも落選。

(1969年12月27日)

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そして翌1969年の総選挙に勇二郎氏は
自ら旧兵庫2区から出馬する。

だが、自民党の公認は得られず、
「新しい世代の会」を看板に無所属での立候補だった。

この勇二郎氏の「最初で最後の選挙」を手伝ったのが、
鴻池氏と浜渦氏だった。

勇二郎氏が応援した石原氏と書生の浜渦氏、鴻池氏の3人と
娘・百合子氏との因縁はここから始まる。

http://www.news-postseven.com/archives/20170315_501078.html
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従来、社会党は都市部で強かったが、
この選挙で受けた打撃は二度と回復できなかった。

代わって、公明党・共産党が進出し、
民社党も含めた、都市部での
野党の多党化傾向が顕著になった。

自民党では、当時幹事長だった田中角栄が
後に「田中軍団」を形成する事になる子飼いの新人議員を大量に当選させ、
後の政局の主導権を握る上で大きな役割を果たすことになる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/第32回衆議院議員総選挙
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