日本にペストが侵入するも、発見者の北里柴三郎により根絶される。

(1899年)

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5. 日本への輸入は明治時代

日本では、1899 年(明治 32 年)に
流行地の中国から侵入したのが
初のペストである。

翌年から東京市(現在の 23 区)は
予防のために
一匹あたり 5 銭で鼠を買上げた。

本来日本国内には
ケオピスネズミノミは生息せず、
したがってそれ以前には
日本にはペストはなかったとされている。

ペストが日本に侵入してから 27 年間に
大小の流行が起こり、
合計ペスト患者 2,905 人(死亡 2,420)が発生した。

しかし、
日本がペストの根絶に成功したのは、
ペスト菌の発見者である北里柴三郎や、
彼の指導下でダイナミックに動いた
当時の日本政府のペスト防御対策
(特に、ペスト保菌ネズミの撲滅作戦)にある。

お陰で、ペストが、
家ネズミから撲滅不可能な山野の齧歯類に
伝播するのを阻止できた。

その結果、1926 年以降、
今日までペスト患者は出ていない*6。

北里は、
研究者としてのみではなく、
医療行政家としても極めて優秀であった*18(図 9)。

1899 年、
北里の建議によって
開港検疫法に
ペストが病原体として追加されている。

この時、
検疫医の選考に
北里自らがあたり、
その一人として
野口英世を採用している。

われわれ日本人が
ペストという言葉に対して
実感が全く湧かない原因は
日本での流行期間が短く、
流行規模や被害も小さかったことによるのであろう。

しかし、日本のペスト根絶への
北里の貢献を忘れてはならない。

http://www.eiken.co.jp/modern_media/backnumber/pdf/MM1002_03.pdf

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