新井将敬 (元新進党) が自殺。

(1998年02月19日)

新井将敬 (元新進党)

https://ja.wikipedia.org/wiki/新井将敬

この辺も今となっては古い話なんですが、
いま起きていることを理解する上でも、
参考になるのではないかということで、
少し書いてみるんですが、

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野村がメディアに顔を売るようになったのは、
企画と演出をした人物がいたからであり、
全共闘運動のスポークスマンだった経歴を持つ、故・丸山実が、
極めて大きな影響を及ぼしていたという。

月刊誌『現代の眼』の編集長を経て独立し、
「新雑誌X」を発行していた丸山は、
主催していたマスコミ塾で人材を育てた上で、
全共闘世代を精力的に売り込んだが、
初期の頃のパトロンは電通だったのである。

だから、ソフトな政治工作として電通が組織した、
田原総一朗を中心にする「青の会」との関係で、
野村が最初に出たのはテレ朝の番組であり、
使い易い司会者の田原のリードによって、
野村はマスコミ界に足場を築いたのだった。

しかも、当時のテレ朝には三浦甲子二が君臨しており、
電通とテレ朝との関係が良好だったし、
丸山が三浦と親しく交際していたので、
野村と三浦は大いに意気投合したという。

(中略)

全共闘世代に詳しい社会部の貴社の話では、
死ぬ前の丸山実のパトロンは電通ではなく、
会津小鉄会の高山登久太郎会長(当時。
現在は引退)だったそうであり、
丸山のタニマチが京都方面だったとしたら、
丸山や野村は中島と似た足跡を残したことになる。

(「夜明け前の朝日」藤原肇・著 より引用 )
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創価学会員だった暴力団会長高山登久太郎

http://n-seikei.jp/2012/01/post-4382.html
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藤原さんがお書きになられた頃は、
まだ、「後藤組」という組があって、
のちに「憚りながら」によって明らかになる
創価学会との関係も良好だった頃です。

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「創価学会の裏仕事を握っており、
山口組幹部とも親交がある」
との黒い噂が以前より存在していたが、
元後藤組組長後藤忠政の回顧録により
図らずも証明された形となった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/藤井富雄
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■元公明党都議との密会ビデオ

「憚(はばか)りながら」(宝島社) 後藤忠政・著 より、以下抜粋。↓

http://www.twitlonger.com/show/n_1sov84k
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藤井氏は、党内でも別格扱い。

池田大作・名誉会長の覚えもめでたく、
公明党の"最高実力者"ともいわれている。

http://www.forum21.jp/contents/contents6-1.html
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