【西田厚聰】岡村正に代わり東芝の社長に就任。★

(2005年06月)

選択と集中のスター経営者が
東芝会長の西田厚聡氏であった。

パソコン分野で頭角を現し、
85年にノート型パソコンを初めて売り出した。

90年代にはノート型パソコンがデスクトップ型を超えると予測し、
ノート型パソコン、ダイナブックに経営資源を集中した。

2003年には赤字を出していたパソコン事業を、
1年で黒字に転換させたことで知られる。

05年6月に社長に就任してからは
「今後はエネルギー事業が急成長する」と考え、
米原子力プラント大手、ウェスチングハウス(WH)の買収を決断する。

(中略)

西田氏は、半導体と原子力発電を
経営の2本柱に掲げた。

東芝は総合電機だが
圧倒的にナンバーワンといえる分野はない。

選択と集中を進めた結果、
半導体は国内首位で世界第3位、
原発は世界首位に躍り出た。

西田氏の経営手腕は高く評価された。

http://biz-journal.jp/2012/12/post_1150.html
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06年当時、
米国ではジョージ・W・ブッシュ政権下で原発の再評価が進み
「原子力ルネサンス」と呼ばれていた時期。

GEはスリーマイル島事故以後の長いプロジェクト凍結期間を経て、
すでに原発事業では製造部門を持たず、
サービス・エンジニアリング会社に転換していた。

https://www.nikkei.com/news/print-article/?R_FLG=0&bf=0&ng=DGXNASDD0607I_W2A800C1000000&uah=DF250520127872
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GEの教訓

この最初の会議から約20年間、
原子力事業の原子炉の受注はわずか四基。

米国内の注文は一件もなかった。

※注:今現在まで米国内の原発新設はない。

https://twitter.com/kanseikei/status/58694861573992448
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GEの教訓

結局、GEは原子炉建設の正社員を
1980年の2,410人から1985年には160人まで大幅削減。

原発に対する世界の見方が変わる日に備え、
先進的な原子炉の研究だけに特化。

燃料・サービス事業で利益をあげる体制を築いた。

https://twitter.com/kanseikei/status/58694804388847617
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79年にペンシルベニア州のスリーマイル島発電所で起きた事故で、
国民の原子力発電に対する支持がほとんどなくなり、
事業の根本的な見直しが必要になっていた。

サンノゼの幹部たちは
50,60年代に原子力の明るい未来を信じて入社した
「最高・最良の人材」ぞろいだが、

http://www.nikkei.co.jp/hensei/welch/20011021eimi090121.html
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https://ja.wikipedia.org/wiki/西田厚聰

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