【週刊文春】「財務省職員の妻が提訴した理由 スクープ全文」

(2020年03月28日)

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(中略)

建築家の安藤忠雄さんや、
音楽家の坂本龍一さんのことが
とりわけ大好きだった。

1993年、
まだ若い頃、
近畿財務時報という部内誌に寄稿している。

題は「坂本龍一探究序説」。

その中に

「逃避することのできない
社会現象の不合理性や構造の矛盾」

という言葉がある。

今になってみると
将来を暗示しているかのようだ。

(中略)

赤木俊夫さんは63年、岡山県の出身。

高校卒業後、当時の国鉄に就職したが、
87年の分割民営化で
中国財務局に採用され、
鳥取財務事務所に勤めた。

その時、
私がNHKから転職した大阪日日新聞の経営母体である
鳥取の地元紙「日本海新聞」を愛読していたというから、
意外なご縁がある。

その後、立命館大学法学部(当時あった夜間コース)に進学するため
近畿財務局京都財務事務所に移り、
以後は関西各地で勤務した。

口ぐせは「ぼくの契約相手は国民です」。まじめで明るい公務員だった。

近畿財務局の上司が「遺書があるなら見せてほしい」

しかし俊夫さんの死後、近畿財務局の振る舞いは昌子さんを大きく傷つけた。

俊夫さんが亡くなった翌日、近畿財務局の上司にあたる楠管財部長が自宅を訪れ、

「遺書があるなら見せてほしい」

と昌子さんに求めたという。

「私はものすごく怒りました。

だって森友のことで死んだのは
間違いないじゃないですか。

はっきり断りました」

昌子さんの目の前で
「赤木を殺したのは朝日新聞や!」
と叫んだ職員もいた。

でも昌子さんは
「殺したのは財務省でしょ」
と冷ややかに見ていた。

「財務局で働きませんか?」
とも持ちかけられたという。

昌子さんは

「佐川さんの秘書にしてくれるならいいですよ。

お茶に毒盛りますから」

と答えた。

痛烈な皮肉に
相手は沈黙した。

麻生太郎財務大臣をめぐる対応に唖然

さらに納得がいかないのは、
麻生太郎財務大臣をめぐる対応だ。

俊夫さんが亡くなって3カ月がたった6月、
俊夫さんと親しかった財務省職員Fさんから電話があった。

「麻生大臣が
墓参に来たいと言っているがどうか?」

と聞いてきたのだ。

昌子さんは
「来て欲しい」と答えた。

ところがFさんは、
昌子さんに黙って
昌子さんの兄に電話をかけ、

「妹さんは
大臣に来て欲しいと言っていますが、
マスコミ対応が大変だから断りますよ」

と一方的に告げたのだという。

昌子さんは次の日、
Fさんからそのことを告げられて唖然とした。

しばらくして
麻生大臣が国会で

「遺族が来て欲しくない
ということだったので
伺っていない」

と答弁しているのを見た。

翌年にも
同じように答弁している。

それからまもなく、
近畿財務局の美並局長(当時)が
お供の人たちと自宅を訪れた。

その際、美並局長は

「大臣の墓参を断ってくれてありがとう」

と述べたという。

昌子さんは

「私、そんなこと言ってないのに」

と憤った。

翌年19年2月、
財務省の岡本薫明事務次官が
自宅に弔問に訪れた際は、
同行していた近畿財務局の職員から

「一番偉い人ですよ。

わかってます?」

と言われた。

こうした積み重ねが、
昌子さんの心を
財務省から引き離していった。

「もともと
夫の勤め先だから
悪くいうつもりはなかったんですけど、
あんまりひどいじゃないですか」

続きはWebで

https://bunshun.jp/articles/-/36820

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