【鹿島守之助】外交官としてベルリンに赴任。

(1922年)

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鹿島は、1920(大正9)年に東京大学を卒業して外務省に
入省し、22年には外交官としてドイツ大使館勤務を拝命してベルリンに赴く。

そして、着任早々、
ベルリンの『フォシッシェ・ツァイトゥング』と
ウィーンの『ノイエ・フライエ・プレッセ』両紙に載せられた
リヒァルト・N・クーデンホーフ・カレルギー(Richard N. Coudenhove-Kalergi)の
最初の「パン・ヨーロッパ」の論説に接し
「その最初の読者となり、熱烈な共鳴者となった」(鹿島建設編1978、369頁)。

https://web.archive.org/web/20141129012955/http://www.aisf.or.jp/sgra/member/gcitizen/report/SGRAreport58.pdf

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