ベルリンの壁が崩壊。(東側からの難民が大量流入)

(1990年06月13日)

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しかし、1989年に始まる旧共産圏の崩壊、
旧東ドイツを吸収する形でのドイツ統一は
予想以上の財政負担となり、
ドイツ経済は悪化し、失業率は上がる。

ドイツ人の失業者も増えたが、
外国人の失業率はその二倍とも三倍とも言われる 。

ただでも困窮する経済状況の中、
多くの外国人が
失業手当や生活保護などの社会保障制度に依存していること、
失業した外国人が
日中から路上で目につく存在になったことは
ドイツ人の心情を逆撫でた。

このようなドイツの経済悪化の中で、
外国人に対する反感に
更なる追い打ちをかけたのは
難民の大量流入であった。

戦後、ドイツは多くの難民を受け入れてきたが、
冷戦中は国境を越える人や難民申請者は少なかった。

それが1989年に起きたベルリンの壁崩壊で一変し、
ドイツに大量の難民が流入することになった。

ドイツは旧共産圏に接しており、
東欧諸国に地域紛争が多発したという要因から
89年から91年にかけて難民申請者が急増し、
92年には40万人を超えた。

このように
ホスト社会の受け入れ能力を超えるほどの移民、難民流入は
社会を混乱させた。

この難民流入を阻止する目的で、
1993年7月1日に基本法16条が改正され、
基本法16条「政治的に迫害された者は庇護権を有する」に
a項「安全な第三国を経由してドイツに入国した者には
この条文を適用しない」ことが加えられた。

しかし、ドイツの周辺国は
内戦状態でも無政府状態でも独裁国家でもないため、
空路かつ直行便で入国する以外は
難民とは見なされなくなったのである。

したがって、ドイツで難民申請を行うことが事実上不可能になり、
1993年以降の難民申請者数の激減につながっている。(p.121)

https://web.archive.org/web/20180113112523/http://www.desk.c.u-tokyo.ac.jp/download/es_8_Kobayashi.pdf

https://ja.wikipedia.org/wiki/ベルリンの壁崩壊

https://youtu.be/ItJTvJ0Hqqk?t=616

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