西ドイツで、「ガスト・アルバイター」の募集が始まる。★ (トルコとの募集協定)

(1961年)

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「ガストアルバイター(Gastarbeiter)」と呼ばれる外国人労働者は、
第二次世界大戦後、労働力不足を補うために
ドイツが二国間協定(外国人労働者募集協定)を締結して受入れてきた。

最初にイタリア(1955年)、
その後、スペイン、ギリシャ(ともに1960年)、
トルコ(1961年)、モロッコ(1963年)、ポルトガル(1964年)、
チュニジア(1965年)、ユーゴスラビア(1968年)と
順次協定を締結した。

https://www.jil.go.jp/foreign/jihou/2014_12/germany_01.html
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1950年代に始まった西ドイツの「奇跡的経済復興(Wirtschaftswunder)」は
深刻な労働者不足を引き起こした。

これを補うために
「ガストアルバイター(Gastarbeiter )」と呼ばれる外国人労働者を募集した。

ドイツ語Gastが客を意味することから
長期滞在をしない人という意味が込められているように、
当初は出稼ぎ労働者として受入れられていた。

1973年のオイルショックで
「ガストアルバイター」は募集停止されるが、
彼らは母国にいる家族をドイツに呼び寄せ始め、
1972年に約353万だった外国人人口は1973年に約400万人、
1974年には約413万人に増加する。

この間、ドイツ政府は
「ガストアルバイター」の自主的帰国支援政策を行うが
効果はほとんどなく、
外国人人口はその後も増加を続ける。

1980年に約450万人に達した後は横ばい状態が続き、
その後1989年には約485万人、
1990年の約534万人となった。

そして、現在では
ドイツの総人口の約1割弱である
約730万人を占めている。(p.120)

https://web.archive.org/web/20180113112523/http://www.desk.c.u-tokyo.ac.jp/download/es_8_Kobayashi.pdf
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われわれは,1961年~1967年を
「ガストアルバイターの出現と増大」の時代として把えた

http://petit.lib.yamaguchi-u.ac.jp/G0000006y2j2/file/8656/20120312190243/C050037000508.pdf
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60年代に入って,西ドイツは
本格的な外国人労働者雇用の時代に突入した。

1960年から1966年までの6年間に
約100万人の外国人被雇用者が増えている。

年平均の前年比増加率は
およそ60%である。

1966年から1967年にかけて
奇跡の経済復興以来最初の不況に見舞われ,
1967年の失業率は2.1%となっているが,
それまでの5年間の失業率は1%を割っていた。

超完全雇用の状態が生じていたといってよいだろう。

1961年8月13日にミベルリンの壁が築かれ,
東側からの労働力の流入が完全に閉鎖されたことは,
西ドイツの外国人労働者雇用政策を
新たな段階へ導くことになった。

60年代に入って
地中海沿岸の国々との間で
募集協定が締結された。

1960年にスペイン,ギリシャ,
1961年トルコ,
1964年ポルトガル,
さらに1963年に北アフリカのモロッコと,
1965年にチュニジアと募集協定が結ばれた。(p.17-18)

http://petit.lib.yamaguchi-u.ac.jp/G0000006y2j2/file/8656/20120312190243/C050037000508.pdf
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・第1期__初期の季節労働者の時代(1950年~1960年)
・第2期__ガストアルバイター(Gastarbeiter.出稼ぎ労働者)出現の時代(1961年~1967年)
・第3期__ガストアルバイター・ブーム(1968年~1973年)
・第4期__ガストアルバイターから外国人労働者(auslandische Arbeit-nehmer)へ(1974年~1977年)
・第5期__ドイッ人と外国人の紛争(1978年以降)

http://petit.lib.yamaguchi-u.ac.jp/G0000006y2j2/file/8656/20120312190243/C050037000508.pdf
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