【現代ビジネス】壮絶…日本で外国人の子供が「ギャング化」その厳しすぎる現実。

(2019年12月08日)

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今年9月、文部科学省は、
日本に住む外国籍の子供のうち、
15.8%に当たる約2万人が
不就学になっている可能性がある
と発表した。

不就学とは、
不登校と異なり、
学校に籍がない状態を示す。

日本には、
工場や建設業の仕事を求めて
来日してくる外国人が
年々増加しており、

その中には
子供を連れてくるケースも少なくない。

こうした子供たちは
家庭環境や日本語の壁にぶつかり、
学校へ入学しないか、
入学しても途中で辞めてしまうことがある。

外国人は「義務教育」ではないので、
学校を辞めて
社会とのつながりが断ち切れる
ということが起きてしまうのだ。

彼らは学校へ行かなくなることで
社会福祉や地域とつながりがなくなり、
漂流していってしまうことが多い。

児童労働に取り込まれたり、
非行化してギャングとなって
事件を起こしたりするケースもある。

日本が労働力を
外国人に頼らざるを得えない状況の中で、
こうした子供たちに
光を当てるのは
間違いではないだろう。

ここでは、
日本の教育からこぼれ落ちた
二人の南米出身の日系人の子供に
光を当ててみたい。

池長ミツヨシ

池長は日本に来て20年になる。

全身にタトゥーを入れ、
建築の仕事をしながら、
家庭を持って子供も育てている。

だが、ほとんどと言っていいほど
日本語をしゃべることができない。

日本人の子供に例えれば、
4歳前後のボキャブラリーだろう。

その原因が、
彼の「不就学」にあるのは明らかだ。

池長はブラジルの貧しい町で生まれ育った。

父親はいろんなところに女をつくり、
子供を生ませていた。

池長もそうして生まれた子供の一人であり、
物心ついた時には
父親は離婚していなくなっていた。

父親はブラジルで生活が成り立たなくなり、
日系人だった母親を頼って
日本へ行ってしまっていたのである。

母親の元で池長は
小学5年生まで過ごすが、
家は貧しく
生活もギリギリだった。

そのため、
日本で暮らす父親のところへ
預けられることになった。

日本で父親は
契約社員として肉体労働をしていたが、
女性をつくって遊び歩いており、
池長はネグレクト状態に置かれた。

池長はご飯さえ食べられない日々がつづいたが、
日本語ができない上、
学校にも行っていなかったので、
助けを求めることさえできない。

小学6年のある日、
父親に殴られたのをきっかけに、
池長は家出をした。

だが、彼には行先も、
助けを求めるだけの語学力もなく、
汚い橋の下で暮らしはじめた。

12歳でホームレスになったのだ。

池長の言葉である。

「橋の下で生活したのは、寒いから。

あと捕まるのが怖いから。

痛いし、怖い。

でも、家よりいい。

(父親は自分のことを)捜してくれなかった。

邪魔だったと思う」

下水の臭いが漂う橋の下で、
拾ってきた段ボールを敷いてベッドにし、
布団替わりに
汚れたタオルに身を包んだという。

池長は公園の水を飲んだり、
コンビニのゴミ箱を漁ったりして
飢えをしのいだ。

風邪をひいたこともあっただろうが、
そんなことに気づく余裕もなかったという。

驚くことに、
ホームレス生活は3年に及んだ。

もし池長が日本人であれば、
このようなことは起きなかったはずだ。

家庭が荒んでいても、
学校や親戚が気づいて
捜索願を出していただろうし、
地元の人々も
日本人が橋の下で寝泊まりしていれば
手を差し伸べたはずだ。

「外国人」だからこそ、
人々の無関心の下で
こうしたことが起きてしまうのである。

15歳の時、池長は
ようやくホームレス生活に
終止符を打つことができた。

建設業のオーナーに声を掛けられ、
働かせてもらえることになったのだ。

違法な児童労働であり、日当も低かった。

だが、3年も橋の下で暮らしていた池長にしてみれば、
天から下りてきた蜘蛛の糸のようなものだった。

彼はその会社で働き、
屋根の下で生きていくことができるようになった。

池長は言う。

「あそこで仕事してなかったら、死んでた。

親方、助けてくれた人」

皮肉にも、
学校も地域も救ってくれなかった中で、
建設業の親方だけが
「児童労働」という形で
池長に手を差し伸べたのである。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/68984

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191208-00068984-gendaibiz-soci

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