【石川雅己】東京都の港湾局長に就任 ★★★

(1995年06月)

それまでは、都庁の災害対策部長。

石川氏が築地市場に関わったとされるのは95年6月、港湾局長就任時だ。

この年4月に行われた都知事選で、
臨海副都心地区で開催が予定されていた世界都市博覧会の
中止を公約に掲げた青島幸男氏が圧勝。

青島氏は公約を守って
同年5月31日に
都市博の中止を発表した。

臨海副都心開発の起爆剤とされた都市博の中止により、
多くの企業が予定していた開発計画の見直しを余儀なくされ、
後に豊洲市場用地を都に売却した東京ガスも例外ではなかった。

http://www.excite.co.jp/News/politics_g/20170208/asahi_2017020700044.html

築地市場幹部が語る。

「東京ガスが豊洲に計画していたのは、
レインボーブリッジから豊洲に橋をかけるという
マンハッタン・ベネチア構想といわれるものでしたが、
都市博中止で頓挫。

東京ガスは
同時に計画されていた豊洲の護岸強化工事などを進めていましたが、
都が撤退したことにより、
約60億~70億円の工事費を
自前で拠出しなければならなくなった。

その時に助け舟を出したのが、
監督官庁でもある都の港湾局長(当時)、
つまり石川千代田区長でした」

街づくりを手掛けていたのは
東京ガスの子会社、東京ガス豊洲開発
(現在は東京ガス用地開発)だった。

「当時の東京ガス幹部が
豊洲の所有地に公的な施設を誘致すれば、
莫大な工事費が減免できるのではないかと考え、
港湾局長の石川さんに相談した。

石川さんが目をつけたのが、築地市場の移転でした。

石川さんが初めて
築地の豊洲移転の構想を提案したのです」(同前)

http://www.excite.co.jp/News/politics_g/20170208/asahi_2017020700044.html?_p=2

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