【鈴木茂】拓銀の頭取に就任。

(1983年04月)

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まず拡大路線を採用したのは,
1983 年4月に頭取に就任した鈴木茂氏の時代である。

そのために,1984 年に組織改革を行った。

そして 80 年代の半ばには,
インキュベーター路線が導入される。

このインキュベーター路線の陣頭指揮をとったのが,
80 年代後半に札幌における業務本部長であった
佐藤安彦専務であった。

比較的おとなしい人材の多い拓銀にあって
珍しい個性 派と周りからは認識されていた。

それまでは地元企業との付き合い方が,
慎重で臆病と言われ てきた拓銀が,
その付き合い方を 180 度転換し,
北海道の金融界に「たくぎん旋風」を巻き起 こしたのは,
この佐藤氏が業務本部長になってからというのが
もっぱらの見方である 15)。

この佐藤氏の後を継いで,
1990 年 10 月に
21 世紀ビジョンをスタートさせた頃に陣頭指揮 をとったのは
海道弘司常務である。

その時期に新設された総合開発部の
札幌における担当役員 として
部下に激しい檄を飛ばし,
性格は積極的で,
行動的で,ワンマンであった。

その頃,鈴木氏は会長に退き,
佐藤氏は副頭取であった。

この 3 人が
バブル期から 21 世紀ビジョン実施時期における
拡大路線の推進者であり,
その絆の強固さは行内外でも有名であり,
3 人の頭文字をとって SSK トリオと呼ばれた。

海道氏や佐藤氏に反抗すれば,
主流にいたはずの幹部でさえも突然,
畑違いの閑職に異動させられるという人事が横行した。

こうして,行内には
自由に物を言えない雰囲気が形成されていった。

なかには自ら擦り寄り,軍門に下る幹部も多かった。

彼らは,自分たちのグループに擦り寄る者は厚遇し,
逆らう者は徹底的に排除した。

このように人事権を事実上握ることによって,
ワンマン体制を作り上げ,
彼らの無謀な拡大路線に対する「チェック機能」が
内部から有効に働く機構は欠如していた。

鈴木氏は 89 年 4 月に
山内宏氏に頭取の座は譲ったが,
SSK トリオの体制はそれ以後も続いた。

http://r-cube.ritsumei.ac.jp/bitstream/10367/1736/1/be415_01hattoriyasu.pdf

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