【大蔵省】拓銀を「決算承認銀行」に指定。

(1994年12月)

building_gyousei_text06_zaimusyou.png

94年12月には,
大蔵省から「決算承認銀行」の指定を言い渡されることになる。

大蔵省が決算承認銀行としての指定を行うのは,
行政指導の一環として行われるものである。

通常の金融検査などの結果,
経営に問題がある銀行に対して,
事前に決算内容をチェックすることになる。

同省の承認なしに
株主への配当,人事案件,役員賞与を
きめることができない。

(中略)

したがって,旧大蔵省金融検査部の検査は,
都銀で 3,4 年に一度,
地銀で 2,3 年に一度程度であるが,
事前通告は一切なく,
抜き打ちが原則となっている。

しかし,検査の順番は
金融機関ごとにほとんど決まっており,
いろいろな「慣行」で
日程がある程度読めるようになっている。

そこで,正確な検査の日程などを聞き出すことが
MOF 担(大蔵省担当)の任務となっている。

そして,検査が間近になると,
どこの支店を検査するかなど
さらに詳しい情報を得るために,
集中的な接待が行われる。

そして,検査に「さじ加減」が加え られるといった「馴れ合い」が
両者の間に発生する。

こうして接待汚職が大々的に行われていたことが明らかになり,
旧大蔵省に対する批判が強まった 33)。

しかし,こうした大蔵官僚と銀 行・金融機関との「馴れ合い」が生ずるのは,
以上の特徴を持った金融行政の必然的な結果である。

また,旧大蔵省は,
拓銀に対して 91 年と 94 年に金融検査に入り,
その結果に基づいて 94 年 11 月には拓銀を
「決算承認銀行」に指定している。

定期的な検査で旧大蔵省は,
拓銀の経 営の隅々まで把握していたが,
拓銀の経営実態の真実を公表することは一度もなかった。

旧大 蔵省は拓銀の経営悪化をしりながら,
具体的にどんな指導をしてきたのか,
また大量の不良債権についても
どのような抜本的処理を進めようとしたのか,
はっきりしない。

問題が明らかになっても,
一貫して問題を「先送り」することで,
その場をしのぐという方針を
他の銀行・金融機関に対しても取りつづけてきた 34)。

これは,旧大蔵省が,
信用秩序の維持を名目に取ってきた一貫した行動であったが,
そのことが逆に金融危機を一層深刻化させ,
ついに都銀の一角までも経営破綻に追い込んだ。

にもかかわらず,旧大蔵省は
どこからも厳しい責任追及を受けていない。

http://r-cube.ritsumei.ac.jp/bitstream/10367/1736/1/be415_01hattoriyasu.pdf

コメント