ズイヨー映像を設立。

(1972年)

高橋
TCJ時代には,動画技術は訓練の積み重ねであり,
そのノウハウを外に出したくなかったので
純血主義をとった。

ぜんぶTCJの社員にして育てた。

それぞれの腕はあがっていくが,
社員もどんどんふくれあがっていく。

すると同じ方向性のものはできるが,
多様性がなくなって,
全体にひよわになっていく。

私は,主要スタッフは社員にし,
その作品にあわせて
外部スタッフで構成する事を考えた。

音楽にたとえれば,コ
ンダクター(指揮者)がいないと
いいアニメは作れないということに気づいた。

TCJ時代の経験が
ズイヨーで生かされたよ。

独立して初めて,
こうしたことがわかったんだ。

―――では,ズイヨー映像の体制は
違っていたのですね。

高橋

ズイヨーでは,
キーアニメーターは社員だが,
あとは契約で仕事をしてもらい,
次の企画に合っていれば
再契約―という方法をとった。

http://www.kyoto-seika.ac.jp/researchlab/wp/wp-content/uploads/kiyo/pdf-data/no26/ono.pdf

1972年に
アニメ制作会社として
多摩市に子会社の
ズイヨー映像を設立[4]。

手塚治虫のマネージャー
兼アニメプロデューサーの
西崎義展が
虫プロ商事、オフィス・アカデミーと兼任で
当社制作部長に就任。

https://ja.wikipedia.org/wiki/瑞鷹_(アニメ製作会社)

コメント