ダウンタウン 結成

(1982年04月)

浜田雅功(はまだまさとし/1963年5月11日/兵庫県尼崎市出身)
松本人志(まつもとひとし/1963年9月8日/兵庫県尼崎市出身)

事務所:よしもとクリエイティブ・エージェンシー
出身:NSC大阪1期生
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ダウンタウンの漫才について:
・ネタの台本の大部分は松本が作成していたが,初期は浜田と共同で行なうこともあった。
・漫才ブーム隆盛当時,一般の芸風としてボケとツッコミを早口で捲し立てる「掛け合い喋繰り」が幅を利かせていたが,その中において松本と浜田の妙に間の開くシュールな漫才スタイルは異質な存在であった。この喋りのテンポが遅い点を指摘した島田紳助は芸風の方向性を松本に問いただすと,問われた松本は模索中ながらもある程度の確信がある旨を明かす。後に紳助は,ダウンタウンの漫才(の方向性が正しかった事)に衝撃を受け,同時にそれまで培った漫才がすでに通用しなくなっている現状を自覚する事になる。これが漫才を引退するきっかけとなり,紳助・竜介を解散した紳助は,記者会見の席上で解散の理由について,「うめだ花月で巨人・阪神とか,サブロー・シローとか,ダウンタウンを見てると(自分達は)明らかに負けている。それが悔しくて辛い」と述懐した。
・かつて関西ローカルで放送されていた番組等で番組観覧者に若年の女性層が多かった事から,芸風が若年層に向けた漫才のスタイルのイメージが幅広く定着する事になるが,舞台上では子供から老人まで幅広い年齢層を笑わせ,その場の観客に合わせたネタを即興で駆使するテクニックがズバ抜けており,それを舞台袖で観ていた芸人達は,そのネタの的確さと柔軟なスタイルに感心していたという。
・ダウンタウンの漫才は,前述の島田紳助を始め一部の芸人からは高い評価を受けていたが,漫才師や演芸評論家の中には酷評する者も少なくなかった。特に横山やすしは,『ザ・テレビ演芸』内のコーナー,新人勝ち抜きオーディションにライト兄弟の名で出場した際,家庭内暴力についてのネタを披露したところ,二人の漫才を「チンピラの立ち話」と酷評し,「テレビでやるものではない」と叱責した。後に、松本はやすしが酷評した事に対し,「チンピラの立ち話で結構。チンピラが立ち話をしていて聞いてみたら面白かった、それこそがオレの目指す漫才」「ベテランの『漫才とはこうあるべき』という押し付けが漫才を衰退させる」と、自身の著書『遺書』において反論している。
・ダウンタウンとしての本格的な漫才は,ビデオ『ダウンタウンの流』を最後に披露していないが,その後も自身を「漫才師」と称している。『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』でのフリートークと漫才では,もしかしたら調子の良い時のトークに漫才が負けてしまうかもしれないと語っていた。ダウンタウンの漫才の大半は,2009年現在,ビデオ・DVD化されておらず,見ることが難しい状況になっている。しかし、松本と浜田の二人の間ではコンビ解散のときは最後になんば花月で漫才をやろうと決めている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ダウンタウン_(お笑いコンビ)
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