◎(明治四十三年)五番山笠当番町片土居町
(1910年)現在のアクロスから岩田屋新館一帯にあった福岡城の外濠~佐賀堀を埋め立て、さらに因幡町の一部を合わせた会場に3月11日、第13回九州・沖縄八県連合共進会が開催されるのに間に合うよう、電車を開通させるため福博電気軌道会社が前年9月に着工した。市民総出で砂利運び電柱建てに協力し、3月8日に大学前~西公園間と博多駅~呉服町間が完成。そのため電車架線が地上5mに位置し、今までのような高い山笠が舁き廻れなくなり、飾ったまま台だけを引き出して別な低い飾り物を飾って舁いてみたり、上部を開いて低くする開き山などができた。最終的には現在のような舁き山と飾り山の二つに分離されることになる。この間、山笠存廃について議論白熱するが、6月30日に至り福神流を除く五当番で据え山を立てることに決定。期間は7月10日から15日までとした。そして四番山の中対馬小路の山笠だけが7月15日制を採用し(旧暦では6月8日)、午前4時50分、初の櫛田入りを行った。台上は屋形と岩波だけであった。連合共進会の懇請により4月4日から5月8日まで、櫛田神社拝殿右側に飾り山を立てた。表題は表「朝敵伏徒勲」、見送りは「厳島神社霊験」。
一番山 金屋小路 「佐藤忠信」
二番山 下市小路 「大江山」
三番山 釜屋町 「牛若丸」
四番山 中対馬小路「武内宿禰」
五番山 片土居町 「羽衣」
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