9月21日 スタッフ経由でフリッパーズの2人から解散が告げられる。以後連絡不能。

(1991年09月21日)

公開録音の2日後の話だった。

牧村氏:あまりにも唐突で誰もが予測していなかった。多分本人達も。
その時点では、まだ翻意できるのではないかと誰もが願い、思っていました。

それから何とか連絡がついたのは数日後。
事務所やレコード会社はフリッパーズを継続させるために
彼らと交渉を続けたが「解散しました」という言葉以外は
得ることは出来ませんでした。

解散は事実になりました。それからコンサートの中止やレギュラーの番組、
連載、CMの中止などの手配や後処理に追われる毎日が続きました。

そして10月29日、所属レコード会社のポリスターは
先延ばしにしていた解散をマスコミに通達。

牧村氏が書いたレコード会社としてのコメントは以下。

「彼らの意思を尊重して解散することになりました。
解散は新しい出発の儀式として受けとめています」

雑誌で連載『月刊・小沢と小山田』を担当していた
ライターの能地祐子さんは9月に小沢と電話で話をした。

小沢:
「あのさ、本当のことを書いてくれるって約束したら、本当のことをいうよ。
あのね、フリッパーズ・ギターは解散したんだよ」

解散は小沢宅でのレコーディング準備の作業中に、二人で決めた、と。

ヘッド博士は内容に表れていましたが、
解散前提で作ったアルバムだったということなんですね。。。

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