吉田松陰とばっくまっつの比較
年代 | 吉田松陰 | ばっくまっつ |
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1823年 |
勝海舟誕生(1823年)江戸本所亀沢町(両国4丁目)で、父小吉(左衛門太郎惟寅)の実家男… |
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1827年 |
嗣司誕生(1827年)中世初期に興起した常陸国芹沢村(現茨城県行方市芹沢)の豪族、… |
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1828年 |
西郷隆盛誕生(1828年)薩摩藩下級武士の家 島田魁誕生(1828年)美濃国方県郡雄総村(現岐阜県岐阜市長良雄総)庄屋近藤伊右衛… |
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1829年 |
井上源三郎誕生(1829年)武蔵国日野宿北原(現東京都日野市日野本町)にて、八王子千人同… |
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1830年 |
山口県萩市で生まれる(1830年09月20日)1830年9月20日(文政13年8月4日)、長門国萩松本村(現・山口県… |
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1833年 |
山南敬助誕生(1833年)陸奥仙台の剣術師範山南某の次男 山崎烝誕生(1833年)摂津国大坂出身(山城国出身とも)で、医家または薬種問屋 |
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1834年 |
吉田大助の仮養子となる(1834年)父の弟である吉田大助の仮養子となる。吉田家は山鹿流兵学師範… |
勝五郎誕生(1834年)武蔵国多摩郡上石原村(現東京都調布市野水)農民宮川久次郎の三… |
1835年 |
玉木文之進に教育される(1835年)大助の死とともに吉田家を嗣ぐ。兵学師範としての職責を果たせ… |
伊東甲子太郎誕生(1835年)常陸志筑藩士(郷目付)鈴木専右衛門忠明の長男 土方歳三誕生(1835年)武蔵国多摩郡石田村(現東京都日野市石田)農民土方隼人の6人兄弟… 坂本竜馬誕生(1835年)土佐の国高知に、町人郷士坂本八平の次男 |
1836年 |
新見錦誕生(1836年) |
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1839年 |
永倉新八誕生(1839年)江戸下谷三味線掘(現東京都台東区小島2丁目)の松前藩長屋にて松… |
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1840年 |
兵学教授として出仕(1840年)藩主毛利敬親の御前で「武教全書」戦法篇を講義し、藩校明倫館… |
原田佐之助誕生(1840年)伊予松山藩の中間原田長次の長男 |
1842年 |
松下村塾開塾(1842年)叔父の玉木文之進が私塾を開き松下村塾と名付ける。 |
惣次郎春政誕生(1842年)江戸の白河藩屋敷(現東京都港区西麻布)奥州白河藩士沖田勝次郎… |
1844年 |
藤堂平助誕生(1844年)自称伊勢津藩主の藤堂和泉守の落胤に生ませた子 斎藤一誕生(1844年)「父祐助は播磨国明石藩の足軽であったが、江戸へ出て石高1000… |
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1845年 |
佐久間象山らに学ぶ(1845年)山田亦介(村田清風の甥)から長沼流兵学を学び、翌年免許を受… |
歳三、奉公から出戻る(1845年)松坂屋いとう呉服店に奉公に出るが番頭に叱られ帰宅する |
1847年 |
源三郎、天然理心流入門する(1847年) |
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1848年 |
勝五郎、天然理心流試衛館入門(1848年)歳三姉のぶ、佐藤彦五郎に嫁ぐ(1848年) |
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1849年 |
勝五郎、天然理心流目録を与えられる(1849年) |
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1850年 |
彦五郎、日野宿に出稽古用の道場を設ける(1850年)天然理心流3代目宗家近藤周助の門人となり自邸東側の一角に道場… 惣次郎、天然理心流試衛館に内弟子として住み込む(1850年)両親亡くし、周助に預けられる |
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1851年 |
脱藩(1851年)東北地方へ遊学する際、通行手形の発行が遅れたため、肥後藩の… |
歳三、二度目の奉公から出戻る(1851年)大伝馬町の呉服屋に奉公に出るが妊娠させる 歳三、天然理心流入門(1851年)石田散薬を製造販売しながら行商先で見かけた剣術道場に飛び込… 勝五郎、島崎勝太に改名(1851年10月04日)近藤周助の養子になり名前を近藤の旧姓島崎を称して「島崎勝太」 |
1852年 |
士籍家禄を奪われる(1852年)脱藩の罪で士籍家禄を奪われ杉家の育(はごくみ)となる。 |
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1853年 |
軍艦乗り込みに失敗(1853年)米国のペリー艦隊の来航を見ており、外国留学の意志を固め、同… |
ペリー来航(1853年06月03日)ペリー一度帰る(1853年06月06日)12代将軍徳川家慶没(1853年06月12日)13代将軍徳川家定(1853年11月23日) |
1854年 |
野山獄に幽囚される(1854年)ペリーが日米和親条約締結の為に再航した際には金子と二人で停… |
市村鉄之助誕生(1854年)美濃大垣藩士市村半右衛門の三男 ペリー再び(1854年01月)日米和親条約(1854年03月03日)13代将軍徳川家定、下田と箱館(現在の函館)を開港し、鎖国体制… |
1855年 |
松下村塾の主宰者となる(1855年)生家で預かりの身となるが、家族の薦めにより講義を行う。その… |
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1857年 |
勝太、勇に改名(1857年)「島崎勇」この時期「近藤勇」も併用 |
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1858年 |
再び投獄(1858年)幕府が勅許なく日米修好通商条約を結ぶと松陰は激しくこれを非… |
日米修交通商条約(1858年06月19日)井伊直弼の指示で朝廷の許可なく結んだため、この後倒幕とかい… 徳川慶福「家茂」と改名して14代将軍に(1858年07月) |
1859年 |
斬首刑に処される(1859年)幕府は安政の大獄により長州藩に松陰の江戸送致を命令する。松… |
歳三、天然理心流に正式入門(1859年) |
1860年 |
島崎勇、「近藤勇」のみを名乗る様になる(1860年)勇、清水徳川家家臣松井八十五郎の長女である松井つねと結婚(1860年)嗣司、天狗党の前身である玉造組に参加(1860年)桜田門外の変(1860年03月03日)江戸城桜田門外(現東京都千代田区霞が関)において水戸藩、薩摩… |
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1861年 |
勇、天然理心流宗家4代目を継承(1861年)嗣司、佐原方面での献金強要の罪で捕縛(1861年) |
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1862年 文久2年 |
勇、長女たま誕生(1862年)嗣司、出獄(1862年)嗣司、芹沢鴨に改名(1862年)一、誤って旗本を殺害し京都へ逃亡(1862年)14代将軍徳川家茂、公武合体策の一環として考明天皇の妹和宮と政略結婚(1862年02月11日) |
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1863年 文久3年 |
江戸から京都へ(1863年02月08日)芹沢鴨、平間重助、新見錦、平山五郎、野口健司、近藤勇、土方… 京都到着(1863年02月23日)清河八郎カミングアウト(1863年02月23日)『みなさんは~実は~将軍警護が目的じゃなくて~尊王攘夷なん… 清河八郎、200余人の浪士連れて江戸へ戻る(1863年03月03日)壬生浪士組誕生(1863年03月12日)壬生浪士名簿芹沢一派(8名)芹沢鴨新見錦田中伊織平山五郎平間重… 新参浪士殿内殺害(1863年03月25日)勇「きにいらねぇ」中途がしゃしゃるなって感じかな? 清河八郎暗殺(1863年04月13日)麻布一ノ橋(現麻布十番商店街そば)で佐々木只三郎、速水又四郎… 新参浪士、家里殺害(1863年04月24日)勇「きにいらねぇ」 大坂で力士と乱闘(1863年06月01日)不逞浪士討伐に大坂に向かったはずの壬生浪士が力士と乱闘 八月十八日の政変(1863年08月18日)一地方藩でありながら京都政界で大きな発言力を持っていた長州… 新見錦切腹(1863年09月13日)松平容保、近藤に芹沢を殺せと密名を出す(1863年09月14日)芹沢鴨暗殺(1863年09月16日)新撰組誕生(1863年10月)芹沢暗殺直後に壬生浪士から新撰組へ |
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1864年 文久4年 |
池田屋事件(1864年06月05日)禁門の変(1864年07月19日) |
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