親善使節として中南米を訪ねる
(1941年)政府の要請で親善使節として中南米を訪ねる。そこで子供たちに講演をすることになった。ここで問題が起きた。子供たちはディズニーのアニメが全てウォルトの手で描かれているものと誤解していたのである。実際はたくさんのスタッフが作画していることを何度、説明しても理解されず、ウォルト自身が実際にミッキーマウスを描いて講演する必要が生じた。しかしウォルトは1920年代よりキャラクターを描いたことがなく、彼が描くミッキーはミッキーに見えなかったのである。
そこで解決策として、あらかじめアニメーターが黒板に薄く青いチョークでミッキーの輪郭を描いておき、講演の際にはウォルトがそれをなぞるという方策が取られた。これでウォルトにもミッキーがかけるようになった。
ところがある講演で子供が楽屋に入り込み、舞台の袖から舞台上で青チョークの下書きをなぞっているウォルトの手の動きをじっと見つめた。ウォルトは冷や汗びっしょりになり、以後、黒板を使った講演は引き受けなくなった。
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