
1983年 昭和58年 |
10月 | カナダ・マニトバ州で産まれる。(1983年10月16日) |
2000年 平成12年 |
02月 | ウィニペグのローカル団体 Top Rope Championship Wrestling でプロレスデビュー。(2000年02月)当初はサーフィン初心者にもかかわらず「ハワイのサーファー」というギミックだっただったが、のちに『ス… |
2008年 平成20年 |
08月 | DDT「戦うビアガーデン」にて初来日(2008年08月)高い身体能力、明るいキャラクターでファンの心をつかんだ。 戦うビアガーデン「飯伏幸太デー」で飯伏と一騎打ち、そして和解(2008年08月06日)来日前から憧れの選手としていた飯伏に対し、路上の王は自分であるとして喧嘩を売り、シングルマッチにこ… |
2009年 平成21年 |
01月 | 再びDDTへ(2009年01月)二度目の来日。この時より飯伏とタッグを結成(厳密にはヤスウラノとの3人タッグだった)。試合後、リング… KO-Dタッグタイトル戴冠(2009年01月24日)当時の王者チームHARASHIMA・大鷲透組にいきなり挑戦表明し、いきなり実現したタッグタイトル戦。組んで二… |
02月 | 命名「ゴールデン☆ラヴァーズ」(2009年02月)ベルト奪取を取り上げた週刊プロレスの記事では飯伏とのタッグについて双子のような息の合いように「ゴー… |
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05月 | タッグタイトル陥落(2009年05月10日)博多スターレーンにて行われた興行でフランチェスコ・トーゴー、PIZAみちのく組との防衛戦に敗れ、タイト… |
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09月 | キャンプ場プロレス初参戦(2009年09月)第2回キャンプ場プロレスに参戦。飯伏とのタッグで高木三四郎・HARASHIMA組、伊橋剛太・中澤マイケル組と… |
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11月 | battle of Los Angels 優勝(2009年11月)北米のインディー団体「PWG」の王座決定トーナメントに優勝し、世界王座を戴冠。 |
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2010年 平成22年 |
01月 | 新日本プロレス初参戦(2010年01月31日)飯伏との「ゴールデン☆ラヴァーズ」で邪道・外道組と対戦したが、試合中のアクシデントによりレフェリース… |
02月 | IWGPジュニアタッグへの挑戦表明(2010年02月11日)DDT後楽園大会において、HARASHIMA・真霜拳號組と対戦し、勝利。試合後リング上から飯伏と共にIWGPジュニ… |
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04月 | IWGPジュニアタッグへの挑戦表明(2)(2010年04月20日)新日本プロレス大阪大会で外道・ディック東郷組を破り、バックステージで再度同タイトルへの挑戦を要求し… |
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05月 | DDT名古屋大会にてヨシヒコと初シングル(2010年05月)ファイナルアトミックバスターや筋肉バスターを決め、勝利。 |
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06月 | ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア初参戦(2010年06月)決勝進出こそ叶わなかったが、金本浩二、田口隆祐など新日本の有力選手から勝利し、ブロック3位の成績を残… |
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07月 | DDT両国大会にて丸藤直道と初シングル(2010年07月25日)当初は飯伏と丸藤のシングル対決の予定であったが、飯伏が6月のスーパージュニア決勝戦で脱臼した肩を再度… |
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08月 | SMASH新宿FACE興行にて師匠越え(2010年08月30日)新宿FACEで開催されたSMASH.7にてカナダ時代の師匠であるMentalloと対戦し、勝利。 |
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09月 | IWGPジュニアヘビーへ挑戦、敗れる(2010年09月03日)新日本後楽園大会においてプリンス・デヴィットの持つIWGPジュニアのベルトに挑戦したが、惜しくも敗れる… |
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10月 | IWGPジュニアタッグ戴冠(2010年10月11日)長らくのアピールが実を結び、アポロ55組への挑戦。年間ベストバウトとも評されるほどの熱戦を経て、つい… |
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