【磯田一郎】記者会見を行い引責辞任。

(1990年10月07日)

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その年の10月7日、
住銀は日曜日に異例の記者会見を行い、
磯田は会長辞任を表明した。

辞任の理由は、
住銀の青葉台支店の元支店長が
仕手集団「光進」代表の小谷光浩に
200億円を超える「浮き貸し」を行った容疑があり、
その責任を取るというものだった。

(中略)

先の元役員はこう述懐する。

「イトマン事件に関しては、
磯田さん一人を悪者にする向きが多いが、
トップの判断ミスに諫言できなかった頭取以下、
役員たちの責任も大きい。

幹部の皆に
ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige:地位ある者の義務)が
欠如していた。

磯田さんは確かに、偉大なバンカーだった。

でも、気の毒な人でした」

https://www.dailyshincho.jp/article/2017/05040558/?all=1&page=2

かつて住友銀行には堀田庄三という偉大なカリスマが居た。

しかし約二〇年近くも頭取をやっているとどこかおかしくなるもので、
遂には安宅産業の崩壊を招いてしまう。

このとき、身体を張って危機を未然に防いだのが当時の磯田副頭取だった。

安宅問題を片付け、平和相互銀行を吸収し、
都銀の中にあって収益日本一の座を確立する。

頭取六年半、会長七年、
足かけ一四年にわたって君臨してきたわけだが、
今回権力の絶頂期でつまづいてしまう。(p.145)

http://klibredb.lib.kanagawa-u.ac.jp/dspace/bitstream/10487/1544/1/kana-15-3-0007.pdf

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