【池田保次】雅叙園観光の会長を辞任。

(1988年02月)

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池田が一部上場企業の表舞台に立ち
権勢をほしいままにしていたわずか五ヵ月後の十月十九日、
例の「ブラック・マンデー」が襲ってきた。

アメリカニューヨークの株式は
五〇八ドル安(二二.六%暴落)と
史上最大の暴券を、
翌二十日には東京・兜町の市場も
三,八三六円安という
やはり史上最大の下げ幅を記録、
全世界にわたり株価は大暴落をきたした。

このブラック・マンデーの打撃をもろに受けた
コスモポリタンの資金ぐりは急激に悪化し、
その台所は文字通り火の車と化した。

窮地に立った池田が
タクマの仕手戦に最後の勝負に出たが、
ものの見事に敗北したのが命取りとなり、
同六十三年二月に雅叙園観光の会長職を降り、
その経営権を別人に譲渡した。

当初「香港資本グループ」が
経営権を譲り受けたとされていたが、
これは彼ら独得のみせかけであって、
事実上引き継いだ人物は
あの住銀・イトマン事件の主役
許永中グループ企業だった。

会長を辞任した池田は
引き続き実権をにぎり、
許永中とタッグ・マッチを組んで、
同六十三年春先きから
商行為を全く伴わず、
しかも決済資金のアテも全くない簿外の
いわゆる「融通手形」を乱発しはじめた。

当初その総額は
約二六〇億円~二七〇億円ぐらいといわれていた。

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/392.html

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