八重洲画廊が倒産。

(1993年03月)

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私がカネの行き先を調べようと動いていたところ、
40億円は
ある信用金庫の
八重洲画廊の口座に
入金されたとわかった。

そこで
大蔵省関東財務局の金融課長と話をして、
信用金庫の預金の出入りを調べてもらっていた。

もちろんそんなことは簡単にできるわけもなく、
私のMOF担としての経験と
人脈があったからこそではある。

口座の出入りはどうなっていたか。

なんてことはない。

実は40億円はすべて、
借り入れの返済と
大口定期の運用に使われていた。

要するに、真部氏は40億円を
単に自分の金繰りのために使っていたのだ。

当時はこれが政界に渡ったと言われ、
東京地検が捜査までしたが、
結局は尻尾を摑めなかったのも当然である。

最終的に1993年3月末、
八重洲画廊は
100億円の負債を抱えて倒産する。

事件のころには
すでに金繰りが大変だったのかもしれない。

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