【加藤吉邦】自宅の浴室で自殺。

(1990年12月01日)

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自殺した伊藤萬の加藤専務・名古屋支店長は、
伊藤との絵画取引の窓口役だった。

愛知県名古屋市北区清水一丁目2-14
1990年12月1日
イトマン専務、名古屋支店長
自宅浴室にて自殺

http://www.oshimaland.co.jp/?p=7wa9tmz3

90年9月、
大阪市内の金融業者のもとに
一枚の手形コピーが舞い込んだ。

額面5億円。

イトマンが振り出し
大阪の夕刊紙、関西新聞社が受取人になっていた。

手形が
絵画購入代金として
イトマンから許氏側に支払われた
140億円の一部だったことがわかる。

しかも絵画の購入価格は
相場の2-4倍だった。

同年12月、
河村良彦全イトマン社長に
「絵画取引の窓口」と名指しされた加藤吉邦専務が
自宅で自殺。

その直後に、
通常は添付されることのない価格の
「鑑定評価書」の存在が明るみに出て、
絵画取引という「商行為」が
一気に「疑惑」に発展したのである。

イトマンの内部文書などによると、
同社は90年1月から8月末までの間、
許氏がオーナーを務めている関西新聞、
関西コミュニティ、富国産業の三社から219点、
556億円相当、
セゾングループのピサから120億円分の絵画、
美術品を仕入れた。

許氏は当初、
絵画を担保にした融資をイトマンに依頼。

これに対し、故加藤氏は
共同事業で絵画ビジネスを行うことを提案、
伊藤寿栄光常務を通じて許氏に対して
「いったんイトマンに買い取らせた形の売買契約にしてくれ」
と頼んだという。

絵画を担保にした短期融資の形に戻した
91年末を期限とする返済契約を締結した。

ところが関西新聞社が事実上倒産。

許氏が差し入れた絵画には
「西武百貨店塚新店美術部」名で発行した
「鑑定評価書」が添付されていた。

この評価書は、価格つり上げのために作られた疑いが濃いため、
背任罪の立証に重要な役割を果たすとみられるだけでなく、
西武百貨店をイトマン疑惑の渦中に巻き込んだ。

「美術部」は同店に存在しないうえ、
西武によると、店の名前も「塚新」ではなく「つかしん」であった。

印鑑もニセ物だった。

さらに許氏が西武の大口顧客で
親密な関係だったことがわかり
様々な憶測を呼んだ。

ところで、そもそもイトマンが
絵画ビジネスを始めるきっかけとなったのは、
セゾングループ宝飾品販売会社ピサからの購入だった。

住友銀行前会長の磯田一郎氏の長女夫婦が
1989年ロートレックの作品群の購入を持ちかけたという。

この夫婦に5000万円の手数料が
いったん、支払われたこともわかっている。

河村氏は
住友銀行時代から
磯田氏の懐刀として
親密な関係にあった。

https://ichizoku.net/archive/2011/01/suemitsu.html

ところで、住友銀行名古屋支店と言えば、
住銀・イトマン事件の主役・伊藤寿永光が出入りするなど、
さまざまなトラブルを抱えていたとされる。

伊藤は87年、畑中の前任支店長の紹介で
住銀出身のイトマン名古屋支店長・加藤吉邦に食い込み、
加藤を通じてイトマン社長の河村良彦に
「2000億円プロジェクト」を持ちかけた。

それが後にイトマンを食いつぶす大問題に至ったのである。

そして、住銀名古屋支店長が
伊藤に対して次々と多額の融資を行い、
彼の犯罪スレスレの怪しげなビジネスを手助けし、
支店の業績を飛躍的に仲ばしたことは事実である。

だが、そうした業績の大半が焦げついてしまった。

https://restfultime.blogspot.jp/2015/04/blog-post_14.html

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