フランコ総統が死去。( ブルボン朝が復活し民主化 )
(1975年11月20日)フランコ総統が死ぬと、
彼の遺言により、
スペインにブルボン王朝が復活した。
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スペインは民主化移行後、
警察、教育などで西欧で最も広範な権限を
17の自治州政府に与えた。
バスク州には徴税権もある。
ところが、ユーロ危機で
中央政府のラホイ政権が緊縮財政に乗り出すと、
カタルーニャ州では
「われわれの税金がほかの地域に使われるから、州が貧しくなる」
という不満が高まった。
同州は国内総生産の2割を占め、
持ち出しが多かったからだ。
州首相だったマス氏は
州への徴税権移管をラホイ首相に要求したものの、
ラホイ氏は完全拒否。
これが14年と今年の住民投票強行につながった。
http://www.sankei.com/world/news/171002/wor1710020005-n1.html
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フアン・カルロス1世は、
即位前にフランコ総統の指示で
帝王学の教育を受けていたこともあり、
そのまま独裁体制を取るかと思われた。
しかし即位後は、一転してフランコ時代の独裁政治を受け継がずに
政治の民主化を推し進め、
急速に西欧型の議会制民主主義
および立憲君主制国家への転換を図る。
その後スペインは、国民からの圧倒的な支持を受けた国王の後援もあり、
1977年に総選挙を実施し、
1978年に議会が新憲法を承認。
正式に民主主義体制へ移行した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/フランシスコ・フランコ
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フランコ政権の頃は、
フランスに近いカタルーニャやバスク地方の言語は、
おおやけの場で話すことをはばかられるほど抑圧されていて、
州政府の首脳陣らは、殺害されたり、投獄されていて、
海外に亡命した人もいたようですが、
フランコ総統が死去すると帰国して、民主化運動が進み、
それまでの単一民族主義から、
多民族主義へと移行していったようです。
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