【中曽根康弘】「アーバンルネッサンス計画」を発表。

(1983年01月)

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これは容積率の規制緩和であり、
これによって、ビルの高層化が進み、地価が上昇していった。

都心では、すでにプチバブルが起きていた。

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バブル経済とは、土地や株などの資産価格の急激な上昇を意味するが、
殊更、地価に焦点をあてて見ると、プラザ合意に2年先立つ1983年頃より、
東京都内の商業地の価格はすでに上昇し始めており、
1985年以降の円高不況と円高不況対策として
1986年1月から始まる一連の公定歩合引き下げ
(同年3月、4月、11月、1987年2月)によって一層上昇した。

大平政権時代の「田園都市構想」から
すっかり様変わりした「アーバン・ルネッサンス」を
中曽根政権がスローガンに掲げ、
都市の再開発へと舵をきったのが1983年1月であり、
東京の地価は、ちょうど1983年以降に上昇し始め、
さらに1985年からより急激に上昇した。

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