【津田梅子】ランマン夫妻に宛てた手紙の中で、朝鮮人について触れる。
(1883年09月30日)次の梅子の手紙は、
クリスチャンである梅子の
キリスト教宣教師に対する批判が書かれてある。
米国人宣教師が
日本人を見下すことに憤慨する梅子が、
非西洋人である朝鮮人に対して
見下すような口調で語るところに、
梅子自身の異文化受容のパラドックスを
垣間見ることができるのである。(p.32)
2.2.2.1883(明治 16)年 9 月 30 日の手紙
父が帰ってきました。
2、3日前に、
思ったよりも早く着いたのです。
朝鮮について
とても興味深くおもしろい話をしてくれました。
いくつかの点では、
動物の方が
このような汚い朝鮮人よりましだと思いますし、
あるところには本当に
野蛮な人びとがいるのです。(p.34)
http://www.caj1971.com/~kyushu/KCS_04_Shimizu.pdf
梅子のホストファミリーは、
日本弁務使館書記官チャールズ・ランマン53歳、
アデライン46歳であり、夫妻には子供がなく、
ワシントン郊外のジョージタウンに住んでいました。
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