【徳川吉宗】享保の改革で、飛鳥山に270本の桜を植樹。(庶民文化となる)
(1720年)東京都北区王子は、
弥生時代前期(紀元前5世紀)から
集落が営まれていた
歴史ある土地。
八代将軍徳川吉宗が行なった
享保の改革(1716年~)で
飛鳥山に1200本以上の桜が植樹され、
花見の名所となったことで
発展を遂げた。
https://www.chintai.net/news/2018/03/23/18884/
さらに桃の次に咲く、桜の名所を作ったのも吉宗。
それまで、江戸の花見の名所といえば
上野の山だったのですが、
山内にある寛永寺が
歴代将軍の菩提寺となると、
飲めや歌えのどんちゃん騒ぎが
できなくなってしまいました……。
そこで、江戸郊外の飛鳥山に
1200本あまりの桜を植樹して整備。
将軍自ら率先して出かけて、
無礼講の酒宴を開き、
新たに生まれた花見の名所を
PRしたのです。
このように長い間、桜の花見は
朝廷や天下人、そして貴族たちなど
上流階級の人たちのお遊びであった。
これが庶民にまで広がったのは、
江戸時代以降のこと。
徳川吉宗が隅田川土手などに桜を植え、
江戸の庶民に花見を奨励したのが始まりだとされる。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190401-00000132-dal-life
桜の名所としての飛鳥山
飛鳥山が桜の名所になったのは
吉宗のころにさかのぼります。
1720年、
江戸城の吹上にて育てられた苗木が
270本、飛鳥山の地に植えられました。
翌年には
さらに1000本以上の桜が植えられ、
このころには1270本以上の桜が
飛鳥山に植えられたことになります。
(中略)
吉宗の時代である、享保年間以降、
桜の名所に
かまぼこ、卵焼きなどがはいった花見弁当をもって
花見へ出かける風習も一般的になっていきます
(双葉社 旧暦で読み解く江戸)。
当時のかまぼこは
1枚100文(2000円)ほどもする高級品でした。
「長屋の花見」という落語にも
かまぼこや、卵焼きというメニューが一般的であったこと、
また、それが高価だったことを物語るように
代替品(沢庵、大根)で見栄を張る様が描かれています。
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