【福西志計子】「私立裁縫所」を設立。
(1881年)一方、加計氏が加計学園の理事長に就任した頃、
実姉の美也子氏もまた、吉備国際大学(高梁市)などを経営する
学校法人「順正学園」の理事長に就任。
“形見分け”をした父親の願いもむなしく、
程なく姉弟の関係はぎくしゃくしてしまう。
https://www.asagei.com/excerpt/86669
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明治14年(1881)にのちの順正女学校となる私立裁縫所が、
高梁キリスト教会で洗礼を受けた福西志計子によって
高梁のまちに設立されました。
「女性に自由な教育」を理念にした順正女学校は、
神戸などの先進校から女性教師を招くなどして充実した教育を行い、
特に高梁での女性の地位向上や、女子教育に大きく貢献しました。
こうした素晴らしい教育理念に共鳴し、
私たちは高梁の地にその名を刻んでいる順正女学校の名を
受け継いでいこうとの思いから、順正短期大学という名を冠しています。
古くから高梁の地で培われた伝統ある熱い教育への心は、
今なお私たちに受け継がれているのです。
http://junsei.ac.jp/edu/outline/origin
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のち福西が教育の理想を掲げた頼久寺町・伊賀町に再び「順正」の名が掲げられるのは、
戦後、昭和42年(1967年)に高梁市と加計学園グループ(加計勉)によって、
高等教育課程を持つ学校として順正短期大学と順正高等看護専門学校が設立されるまで待つ事となった。[注 15]
なお、これらの学校の設立には
高梁市に根付いた順正女学校の卒業生たちを中心に行われた
市民運動が深くかかわっている。[18]
https://ja.wikipedia.org/wiki/福西志計子#cite_note-32
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