関西学院大学に入学。
(1971年04月)同年9月に中退して、カイロ大学に留学。
小池は1971年9月にカイロの地に降り立つまで、
アラビア語は一切勉強しなかったと自ら述べている。
そんな状態で、
いきなりアラブ諸国で最高峰のひとつとされる
カイロ大学に入れるものなのか。
小池が当時「仙人」と仰いでいた日本人初のカイロ大学卒業生、
小笠原良治・大東文化大学名誉教授が言う。
「カイロ大学には入学試験がなく、望む者に門戸は開かれている。
それでもアラビア語のできない外国人は入れないし、
もちろん授業にもついていけない」
実際に小池は一度、アラビア語ができないために
大学側から入学を拒否されている。
そこでカイロ市内にある
カイロ・アメリカン大学が提供する語学特訓コースに通い、
8か月にわたってアラビア語を集中的に勉強した。
そして翌年、晴れてカイロ大学に入学し、
4年で同大学を卒業した。
(中略)
「留学していたのが40年前だとしても、信じられない。
あまりにお粗末でカイロ大学を卒業して
通訳をやっていたという話を疑ってしまうほどだ。
話す文章は完結しておらず、
普段私たちが使うことのない単語を使っている。
それでも卒業しているのだから、
読み書きが並外れて優れていたのだろうと思います」
小池のカイロ大学時代については「首席で卒業した」といった伝聞が
まことしやかに囁かれてきたが、どうも実態は違ったようだ。
https://www.news-postseven.com/archives/20170605_560954.html?PAGE=2
- このできごとのURL:
コメント