【任侠山口組】 「若頭」 「本部長」 「若頭補佐」 「本部長補佐」を新設。
(2018年03月23日)だが、迎えた翌23日に発表されたのは、
そうした統合説を払拭するような、
新たな組織改革が
任侠山口組で断行されたことだった。
任侠山口組は
結成当初から
従来のヤクザ組織とは違う
親子盃による縦のつながりではなく、
同志としての横のつながりを強調させ、
トップである組長と
組織の要となる若頭を設けずに
組織運営を行ってきていた。
それは、指定暴力団にされることを逃れるために、
これまでのヤクザ組織とは異なる点を
強調するために考えられた組織体
という側面もあったのかもしれない。
しかしながら、それでも
任侠山口組は指定暴力団となった。
それを受けて、
今回の「大型人事の断行」が行われた可能性がある。
新設された若頭には、
これまで本部長を務めていた四代目真鍋組・
池田幸治組長(詐欺罪で勾留中)が座り、
本部長には、
それまで本部長補佐を務めていた山崎博司組長が
組織名を二代目古川組に改称して就任。
これまで本部長補佐を務めていた幹部らが若頭補佐となり、
新たに5人の幹部が
本部長補佐に選出されたのだ。
これによって任侠山口組の執行部は、
「若頭」
「本部長」
「若頭補佐」
「本部長補佐」
からなるということになった。
https://biz-journal.jp/2018/03/post_22781.html
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「今回、任侠山口組から離脱した
元四代目臥龍会会長の金原清士組員が、
六代目山口組二次団体、
七代目奥州角定一家に加入することになりました。
その労を取ったのが
野内組長だったのではないかという話です。
金原組員は、任侠山口組離脱後、
去就先が正式に決まるまで、
野内組が預かっていたといわれており、
晴れて七代目奥州角定一家に移籍先を決定させるために、
野内組長自ら上京していたのではないでしょうか」(ジャーナリスト)
https://biz-journal.jp/2019/04/post_27689.html
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