【京都新聞】「731部隊」の戦後資料を発見。細菌生産を明記。

(2020年02月06日)

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第2次世界大戦中に
細菌戦の準備を進めた
旧関東軍防疫給水部(731部隊)について、

戦後に日本政府が作成した公文書が
6日までに、発見された。

京都帝大などから派遣された医師らが
人体実験を行ったとされる731部隊について、
政府はこれまで国会で政府内に

「活動詳細の資料は見当たらない」

と答弁をしており、

発見した西山勝夫滋賀医大名誉教授は

「まだまだ
731部隊に関係する資料が
埋もれている可能性がある」

と話している。

発見された公文書は
戦後5年目の1950年9月に
厚生省(現・厚生労働省)復員局留守業務第三課が作成した
「資料通報(B)第50号 関東軍防疫給水部」との文書。

西山名誉教授が昨年11月、
国立公文書館から開示決定を受けた。

文書は計4ページあるが、
もっと分厚い資料の一部だった可能性がある。

戦後中ソに取り残された元731部隊の
軍医や軍人らの状況を把握するために作成された資料で、

「関東軍防疫給水部の特異性
前職に依る(サ)関係者が多い」

と書かれている。

うち1枚は
「関東軍防疫給水部行動経過概況図」と題された
縦約90センチ、横約60センチある大きな図面。

「防給本部」について

「部隊長 石井四郎中将以下約1300人内外
本部は開戦と共に全部を揚げて
北鮮方面に移動すべく」

などと
満州(現・中国東北部)から日本に帰国するまでの経路が図説され、
本部第一部が細菌研究、
第四部が細菌生産
などと部隊構成も記載されている。

図は
大連支部や牡丹江支部、
ペスト防疫部隊など、
関東軍防疫給水部の各支部が
ソ連参戦時に
どういう部隊構成だったか、
武装解除や敗走経路、
ソ連に抑留された人数や指揮官の氏名、
中国側に残留している人数なども記載している。

731部隊は
ハルビン近郊にあった本部と
実験施設を爆破し
研究資料も廃棄処分したとされるが、
撤退の経路が
日本側公文書で裏付けられるのは初。

731部隊の本部では
日本に帰国し、戦後の医学界や製薬会社で活躍した人物が多いが、
今回の資料で
各支部は混乱した状況だったことも明らかになった。

731部隊の生体実験や
ペスト菌散布などを示す
戦時中に作成された文書や論文は
国内や中国で発掘が相次ぎ、

占領期に米国が
石井元731部隊長や
解剖した医学者らに尋問した調書も
機密開示されているが、

戦後に日本政府は
731部隊について「調査しない」
との見解を繰り返しており、
公文書が存在した意義は大きい。

日本政府は、
731部隊のペスト菌散布を裏付ける
金子軍医少佐論文(1943年付)が
国会図書館関西館(精華町)で発見された際も、
2012年の国会答弁で

「政府内部に
資料が見当たらないのが実態」

と答弁している。

https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/155056

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