野上純子都議による追悼文 (略歴などを紹介)
(2011年09月21日)〇六十二番(野上純子君) 追悼の辞。
前東京都議会議員樺山たかし先生におかれましては、
去る七月一日、ご逝去されました。
享年六十三歳、政治家としての円熟味も増し、
これからのなお一層のご活躍が期待されていただけに、
その突然の訃報に接し、私ども議員一同、
ただただ驚愕いたしますとともに、その早過ぎるご逝去は、
幾ら惜しみても余りあるものであり、まことに痛惜の念にたえません。
ここに私は、皆様のご同意によりまして、
東京都議会を代表し、謹んで樺山たかし先生への
哀悼の言葉を述べさせていただきます。
樺山先生は、気さくで明るいご性格で、物まね上手で、
周囲の人たちを常に和やかな雰囲気にすることを忘れず、
地域の方々のことや、広く都政のことを
真剣に考えて行動される方でした。
本日、本議場に、そのような
ありし日の樺山先生のお姿が見られず、
議員一同、惜別の情を禁じ得ません。
顧みますと、樺山先生は、昭和四十八年より、
衆議院議員、田島衛先生の秘書として
政治の世界へ臨まれ、昭和五十八年に、
地域の方々の熱い期待を受けて葛飾区議に立候補し、
見事ご当選され、平成五年までの十年間の長きにわたり、
葛飾区議を務められました。
さらに、樺山先生は、
区議時代の実績と豊富な経験を生かすべく、
地元の方々の熱い期待に支えられ、
平成五年に東京都議会議員にご当選され、
以後、五期十八年の間ご活躍されました。
この間、都議会自民党にあっては政務調査会長を、
また都議会では、総務生活文化委員会委員長、
経済・港湾委員会委員長、予算特別委員会委員長、
東京都監査委員、全都道府県監査委員協議会連合会会長などの
数々の要職を歴任され、都政のとらえる重要課題の解決に向け、
全力を尽くされました。
また、東京都芸術文化振興議員連盟の会長を長年務められ、
文化団体と都議会の橋渡しとなり、東京都の文化、
芸術の発展に寄与されました。
今日の東京の文化、芸術の繁栄は、
樺山先生のご努力があったからといっても過言ではありません。
また、東京都議会日韓議員連盟の会長として、
東京都議会とソウル特別市議会との太いパイプ役としてもご活躍され、
NGOオイスカ東京議員連合会会長として
モンゴルの緑の再生を支援してまいりました。
強い責任感と実行力を兼ね備え、優しいお人柄でしたので、
多くの方々が先生に大いなる信頼を置き、その徳を慕っておりました。
私は、都議会議員の初当選のときに、
先輩であります樺山先生、同じくことし逝去された
鈴木一光先生のお二人には
さまざまな会合でお会いする機会が多く、
親しくさせていただきました。
宴席ではお酒が進むほど楽しくにぎやかに振る舞わられ、
皆さんを楽しませることが何よりお好きだった先生の人柄を
しのばせる光景が今でも目に浮かびます。
葛飾区は、寅さん、両さんでおなじみの人情味の厚い
下町情緒の残っている地域です。
情の厚い樺山先生にぴったりの葛飾区のために、
都市づくり、福祉、文化施策の充実などにご尽力をされましたが、
活力ある東京のまちづくりはまだまだ多くの課題が残り、
先生の志も道半ばであったかと思われます。
私たちは、そのご遺志を受け継ぎ、
首都東京の発展に一層邁進していくことで、
そのご遺徳にこたえてまいりたいと思います。
樺山先生、どうか安らかにお眠りください。
そして、私たち後輩議員を見守ってください。
最後になりましたが、ご遺族の方々が
この悲しみを乗り越えて
力強く歩まれていかれますようお願い申し上げ、
樺山先生のご冥福を心からお祈り申し上げまして、
追悼の言葉とさせていただきます。
平成二十三年九月二十一日
東京都議会議員 野上 純子
http://www.gikai.metro.tokyo.jp/record/proceedings/2011-3/01.html
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