【President】日本を選んで"貧困"に落ちた中国人の後悔。上海のお手伝いさんより月給が安い。

(2018年12月14日)

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「中国は日本よりも生活水準が低い」というのは過去の話だ。

都内の大手メーカーに勤務する
永住者の中国人女性は

「上海の友人のお手伝いさんは、
自分よりも月給が高い」

と嘆く。

また埼玉県に住む50代の中国人男性は

「“全身エルメス尽くし”の知人を
満足にもてなす余裕がない」

と話す。

日本で働く中国人たちの本音とは――。

日本のパスポートは憧れ“だった”

10年ほど前、
上海である商談に臨席したときのことだ。

同行させてもらった男性が、
日本の名前を刷り込んだ名刺を渡そうとした瞬間、
客先の中国人女性から
こんな言葉が口をついてでた。

「あなた本当に日本人なの?」

その質問に対し、

「いえ、帰化したんです」

と男性が答えると、
中国人女性はすかさずこう言ったのだ。

「なーんだ、ニセの日本人か」

その物言いは確かに皮肉たっぷりだった。

だが、名刺を渡した男性も、
そして筆者も
彼女がその言葉を発した根底に
嫉妬心があることを知っていた。

当時、「日本のパスポート」を持つことは
中国の人々の憧れでもあったからだ。

日本の暮らしを選んだ中国人は満足しているか

日本で生計を営む中国出身の人々は少なくない。

法務省によれば、
2017年末の在留外国人数は約256万人、
そのうち中国を祖国に持つ人たちは
全体の3割を占め
73万人にものぼる。

永住者や留学生、日本人を配偶者にした人たちなどが
この日本で生活しているのだ。

他方、日本には
中国籍を捨て
日本に帰化した人たちもいる。

1952年~2017年の統計(法務省民事局)を累計すると、
その数は14万1668人を数える。

だが、日本での暮らしを選んだ彼らは今、
その生活に本当に満足しているのだろうか。

朱麗さん(仮名)は
永住者として都内の大手メーカーに勤務する20代の女性だ。

筆者はこの中国人の朱さんと
池袋の喫茶店でお茶をした。

よもやま話が続いた後、
朱さんはおもむろに
スマホの画像を差し出して
こう切り出した。

「これね、すごく高級な茶葉なの。

誰からもらったと思います?

幼なじみの家のアーイーからもらったんです」

アーイー(阿姨)とは
お手伝いさんを意味する中国語だ。

聞けば、朱さんが
上海に一時帰国した際に訪れた
幼なじみの家で、
お手伝いさんからお土産として
高級茶葉を渡されたのだという。

筆者からすれば耳を疑う話だ。

お手伝いさんは主(あるじ)に雇われる低賃金労働者であり、
「低賃金でこき使われている」というのがその典型だからだ。

たまに理解のある雇用主が、
気を遣って便宜を図ることがあっても、
外省出身のお手伝いさんが
「(上海人の)主の友人にお土産を直接渡す」
なんて考えられない。

お手伝いさんの月給は32万円
朱さんはこのお手伝いさんについてこう語り始めた。

「幼なじみの友人は
そのアーイーに
2万元(約32万円)の月給を渡しているそうなんです。

最近、上海では
アーイーの需要がすごくて、
まれに1万元(約16万円)を超える
月給をもらう人も出てきました。

確かにこのアーイーは学歴があるようなんですが、
だからと言って2万元はあり得ない。

私の日本の月給を超えているんですよ!」

“お手伝いさんからもらった高級茶葉”は、
「あなたより私のほうが上」という
無言のメッセージだったのか。

茶葉は朱さんに大きなショックを与えた。

さらに朱さんのショックは、
「2万元」をポンと払える
幼なじみ夫婦にも向けられていた。

幼なじみ夫婦はともに上海の外資系勤務。

その暮らしぶりのよさは、
自宅マンションの立地や室内の家具からも伝わってきた。

朱さんによれば、
「早晩子どもが生まれる予定の幼なじみは、
この学歴あるアーイーを家庭教師にさせるつもりで、
今から高給で囲い込んでいるのではないか」と語る。

一方の朱さんは、
新卒採用で都内の有名大手企業に入社した上海出身者だ。

今の職場には不満はない。

人間関係もいいし、仕事の内容も充実している。

だが、ひとつだけ気に食わない点があった。

それは「日本企業の給料の低さ」だった。

「上海に帰ってお手伝いさんでもやろうかな」

「私は家族と同居だから
家賃や光熱費は考えなくてもいいけど、
そうでない場合は大変です。

母国との往復もしなければならない外国人にとって、
手取り十数万円なんかじゃ生きていけないのです」

そしてこう本音を訴えた。

「日本って本当に魅力ある国なんでしょうか。

魅力があるのは、
日本の風景や日本の製品だけなのでは?

生活するにしても働くにしても、
この国で生きていくのは結構キツイです」

「私も上海に帰ってお手伝いさんでもやろうかなー」

https://president.jp/articles/-/26878

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