【ポストセブン】大阪が「在日の首都」と呼ばれた歴史的ルーツ。

(2020年01月11日)

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1940年に日本が行なった国勢調査によると、
朝鮮半島ではソウルに次ぐ都市だった平壌が28万人、釜山が24万人。

いかに多くの朝鮮半島出身者が
大阪で生活していたか分かる。

なかでもその多くが住みついたのが、
東成区から生野区にかけての
猪飼野地区だった。

「当時、この地区には
地場産業として零細ゴム工場がたくさんあり、
日本人に比べて賃金の安い朝鮮人は歓迎されました。

ゴム工場で働く男子従業員の94%が
朝鮮人だったという記録もあります」(朴教授)

https://www.news-postseven.com/archives/20200111_1519150.html

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